旅日記23

12/ 6(8日目)その1
この日は終日、基本的に自由行動。
しかし希望者の皆さんとはご一緒に、「奇跡のメダイ」の愛徳姉妹会、
パリ・ミッション会、ラザリスト会などを巡礼する。
愛徳姉妹会は、1830年、聖母マリアがご出現になり、
「奇跡のメダイ」を残された場所。
ご出現のときのお姿がメダイに刻印されたが、
そのときの事情については、昨年ブログに書いた。
当初、このメダイとキンメダイの区別がつかなかったイスカーナ・ヤマトさんは、
広島教区の司教座聖堂である幟町教会に行き、
「金メダイ」をください、と本当に言ったらしい。
「金のメダイですね」と、シスターはメダイをくださったようだが、
恐ろしく機転のきくシスターだ。   
パリの愛徳姉妹会にも日本人のシスターが働いておられて、
とても親切に接してくださった。
かつて鎖国を解いた後の、そして敗戦後の日本に
たくさんの修道士、修道女がおいでになり、わが国を助けてくれたが、
現在はこうして日本人のシスターが世界中に出ていき、
多数、働いておられる。
旅をふり返って……

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旅日記22

12/ 5(7日目)その5
この日、パリではまたしてもデモがあったらしく、
近郊から渋滞していた。
それでもわれわれは、7時台にはパリに入り、
セーヌ河の遊覧船に乗る。
今回の旅行について話していたとき、
知人が考えつき、旅行代理店に提案させていただいた。
それは巡礼ではないが、
すでに告知された内容なので飛ばすわけにはいかない。
船に乗り込むと、皆さんはお行儀よく、
ガラス窓のついた一階の座席に座っておられた。
そんな……折角遊覧船に乗ったのだからと、
屋上に出る。
そこを吹く風は冷たかったが、
しかしパリの夜景の真ん中に自分たちがいて、すこぶる爽快。
船が動きだすと、フランス語、英語……
ついには日本語、韓国語まで使って説明をしてくれる。
ルーブル、オルセー、そしてエッフェル塔の下を通りすぎようとするとき、
ちょうど定時になり、塔は白熱の輝きを始めた。
想像を絶する大迫力だ。
2000年、ミレニアムを記念して始まったというこの光のショーは、
あまりに評判がよくてその後も続いているという。
果してどうだろうか……
敬虔な皆さんにとってはあまり面白くない企画だろうか……
そうした思いは、まったくの杞憂であった。
旅をふり返って……

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旅日記21

12/ 5(7日目)その4
シャルトルで私の心を捉えたもう一つのもの、
それは【聖母マリアのショール】である。
今から2000年前、一人の少女に大天使が現れ、
告げて言った。
『めでたし、恵まるる者よ、主、汝とともに在(いま)せり……
 視(み)よ、汝、孕(みごも)りて男子を産まん、
 其(そ)の名をイエスと名付くべし』
だが、マリアは答えて言った。
『われ未だ人を知らぬに、如何にして此の事のあるべき』
『其れ、神の言(ことば)に能はぬ所なし』
『汝の言のごとく、我に成れかし……』
こうして、マリアが救い主の母となることが決まった。
今、シャルトルにあるこのショールを科学的に分析すると、
おおむね2000年ほど前の、
ユダヤ・パレスチナ地方の織物であるといわれる。
もしかして、これを本当に聖母が身につけておられたのだろうか……
もしかして、これを受胎告知の際に身につけておられたとしたら……
想像はつきなかった。
旅をふり返って……

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旅日記20

12/ 5(7日目)その3
オルレアンを後にし、われわれはパリ近郊のシャルトル大聖堂に着いた。
あたかも、われわれのために雨があがったかのように、
あたりに薄日がさしてきた。
ゴシックの大聖堂をたくさん見てきたが、
これほどまでに繊細な聖堂を他に知らない。
外観の壮麗さもさることながら、
薔薇窓と呼ばれる鮮やかなステンドグラスが、
青、赤、黄、紫など、色とりどりの光で見る者を幻惑する。
だが、そうした芸術も、
この大聖堂の聖母子像にはまったくかなわない。
おそらくは、
3000年ほど前にこの地にやってきたケルトの民が信仰した大地母神と、
聖母マリアとが人びとのなかで合わさって形作られたであろう黒い聖母が、
ここでも無数の奇跡を起こしながら人びとを迎えたに違いない。
旅をふり返って……

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神秘

2月から連日、朝から晩まで、
会員の皆さんと密度の濃い時間を過ごしている。
そのなかで起きてくるさまざまな事象については残念ながら公にできないので
会員向けのメルマガなどで書いていこうと思っているが、
まことに、この世界の神秘に驚く他ない。
毎月木曜日に解説している【バガヴァッド・ギーター】もまた、
まさに奇跡と神秘の書といえる。
神々の王インドラの化身であったアルジュナがなお、
相対界においては生に悩み苦しむこと自体が神秘であるが、
神が化身してその悩みを説くこともまた、神秘だ。
(もちろん、連載を開始して2カ月半が経ってなお、
旅日記が完結しないことも神秘だが……)
それはさておき、こうして聖典の文言の一つひとつを、
5千年の時と1万キロの空間を経て、
われわれが日本語で読み、味わうことができるとは、
自然界の恩寵としか思えない。
27日(木)は、【バガヴァッド・ギーター】のハートといわれる……

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旅日記19

12/ 5(7日目)その2
修道院には、もう少しだけ長くいたかった。
何日も、あるいは一生いたいと思われたか方もいたかもしれない。
しかしこの日、われわれはパリまで戻らなければならない。
15世紀初頭、
イギリス、フランスの間で戦われた100年戦争の末期、
イギリス軍によって包囲されていたオルレアンを解放し、
シャルル7世を戴冠させるようにとの「天の声」を聞いた一人の少女が、
諸将を率いて進軍を開始した。
十代の後半で、普通の農民の生活をしていた彼女は果敢に戦い、
ついにオルレアンを解放、フランス軍に勝利をもたらした。
シャルル7世をフランス王の位につけ、
世界の歴史を変えた少女ジャンヌ・ダルクはまた、
「オルレアンの乙女」とも呼ばれる。
かつて巡礼したリジューの聖テレジアも、
彼女を心のなかで深く慕い、自らのヒロインとして崇敬している。
この日巡礼したオルレアンの大聖堂には、
今はフランスの守護聖女と慕われるジャンヌを描いたステンドグラスが美しかった。
旅をふり返って……

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コメント

Blessed Truthさんのときどきセクシーなコメントと、
“新人”のScarlet O’Hara さん、
イスカーナヤマトこと、
広島のソクラテスさんのユーモアのあるコメントが、
毎日楽しくて仕方ありません。
火葬についてですが、もともとキリスト教では火葬にしません。
たまたま最近、セミナーで何度かお話ししたのですが、
キリスト教の信仰のなかに『体の復活』ということがあるので、
彼らは土葬にしてきました。
聖女の遺体が腐敗しなかったのは、
将来の『体の復活』の象徴であるとされています。
もちろん、火葬にされたとしても、
復活するのであれば復活するでしょうけどね。
ですのでソクラテスさん……

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旅日記18

12/ 5(7日目)その1
朝、多くの方は早起きして、
修道院の敷地のはずれにある『水の聖母』にお参りしたという。
ルルドを離れたベルナデッタが、
毎日のようにここに来ては泣いたといわれる聖母像である。
また、今は聖堂に眠る聖女の前で、
1時間も祈っていた方もおられた。
朝食後、シスターにお願いして、
修道院の資料室を案内していただいた。
昔は小さかった資料室が、すっかり新しくなっていたのには驚いた。
増加する巡礼者のため、かなりの規模の工事が行なわれたに違いない。
前回来たときには修道院自体が工事を行なっていたが、
今回、われわれはきわめて静かに、心地よく、
修道院で一夜を明かすことができた。
旅をふり返って……

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旅日記17

12/4 (6日目)その5
ルルドで聖母を見、奇跡の泉を掻きだした後、
ベルナデッタは遠く離れたヌヴェールの修道院に入った。
現地の司教は、ルルドで次々と起こる奇跡を見、
にわかに生まれた大スターを自分の教区に迎えようと、
持参金なしで入れてくれる修道院を探してきたといわれる。
体が弱く、無学で、何の技能を持つわけでもないこの少女の受け入れには、
当初、修道院側も難色を示した。
ところが、その彼女が今やここを、
世界一有名な修道院にした。
先輩修道女からの嫉妬や病気に苦しんだ後、
10年間の修道生活を送って亡くなった彼女の遺体は、
じめじめした地下に埋葬された。
30年後、列福調査のためこれを発掘してみると、
修道服や十字架は朽ちていたが、
体は腐敗しないままの状態で現れた。
旅をふり返って…

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旅日記16

12/ 4(6日目)その4
あまりに親切なアルスの司祭は、
もう少しゆっくり巡礼して行ったらどうかと言ってくれたが、
しかしこの日のうちに、
われわれはヌヴェールまで移動しなければならなかった。
「そうですか。
 聖女ベルナデッタと競うわけにはいかないでしょうね」
そんな冗談を言う司祭はまた、われわれが帰った後、
この地でミサを挙げてくれると言ってくれた。
こうして数時間後、われわれはヌヴェールにいた。
ヌヴェールでは、現地にもう長く修道生活を送る日本人シスターが、
われわれを待っていてくれた。
以前にもお世話になったシスターで、
洗礼名をベルナデッタといわれる。
右も左も分からず洗礼を受けたとき、
授洗の司祭様がつけてくださったのだという。
カトリック界は挙げて、「幼きイエスの聖テレジア」ブームで、
女性は誰もがテレジアの名前を洗礼名にいただいていた時代だった。
しかしそのときにはすでに、
将来こうして聖女ベルナデッタのもとで修道生活を送ることになる運命が、
着々と準備されていたに違いない。
この日、われわれは、
今も聖女が眠るこの修道院に泊めていただいた。
旅をふり返って……

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