旅日記15

12/ 4(6日目)その3
ガイドのフランス人女性は、
アルスの聖者について一生懸命説明しようとしてくれたが、
しかし英語が得意ではないらしく、なかなかうまくいかない。
そこへ、一人の神父が現れた。
見るからにサトウィック(清浄)な感じのこの神父は、
流暢な英語で、ガイドとはレベルの違う説明を始めてくれた。
もともと村は、司祭に居ついてほしいがあまり、
豪華な司祭館を用意してヴィアンネを迎えようとした。
しかし聖者は、立派な家具・調度品を売り払い、
貧しい人びとに施してしまった。
こうして藁の上に寝るようになった聖者は、
後には贈られたベッドを使うようになったが、
そのベッドと傍らの靴、聖者の使った部屋を、われわれは見ることができる。
聖者はまた、驚くほど粗食で、
近くでとれた芋をふかし、それを一週間も続けて食べたという。
また、一日に十数時間も座って人びとの告解を聞いたというその椅子も、
神父が説明してくれた。
旅をふり返って……

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旅日記14

12/ 4(6日目)その2
ガイドさんがまず案内してくれたのは、
聖者と少年の銅像。
聖者がアルスに赴任してきたのは、寒くて霧の濃い、二月のある日だった。
教会への行き方が分からなかった聖者は、少年に尋ねる。
少年が教会の場所を指さして教えると、聖者は言った。
「君は私に教会への行き方を教えてくれた。
 今度は私が、天国への行き方を教えよう」
今も田園風景の残るアルスには、
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の巡礼を記念して、神学校が建てられた。
そこでは、世界中からきた数十人の神学生が学び、
なかには東洋人もいるという。
瀟洒な神学校の建つのどかな田園風景を窓から見ながら、
われわれはいよいよアルスの教会に到着した。
旅をふり返って……

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旅日記13

12/ 4(6日目)その1
1786年、リヨンの北のある寒村に、一人の少年が生まれた。
記憶力も理解力も乏しかった少年は、
勉強という勉強がまったくできず、愚鈍といわれた。
それでも敬虔であった彼は、司祭になろうと志し、
しかし神学生になっても落第を続けた。
彼が司祭になれたのは、折からの深刻な司祭不足による。
それが、奇跡の始まりだった。
彼は司祭館にあった余分な家具をすべて処分して貧しい人びとに施し、
清貧そのものの生活を始めた。
人の心をいつも正確に見抜いたので、
多くの人びとが罪の告白にやってくるようになった。
彼に触れることで難病が治り、足なえは立って歩き始めた。
彼が聖母マリアと語り合っているところを見てしまう人が現れた。
孤児たちに無料で教育を施し、
しかしついに食糧が底をついたとき、彼は数時間、祈りに没頭する。
そうして人びとが行ってみると、貯蔵庫は小麦で一杯になっていた。
旅をふり返って……

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旅日記12

このところ連日、
瞑想をお教えした皆さんとお一人数時間ずつご一緒しています。
とても充実した時間ですが、旅日記のほうが中断していましたので、
なんとか再開したいと思います。
12/ 3(5日目)その2
オーヴェルニュの山々に囲まれた丘、ル・ピュイ。
聖母マリアは亡くなられた後、1世紀、3世紀、5世紀と、
この地にご出現になった。
あるとき、熱病に苦しむ一人の婦人が一枚の岩の上で祈っていると、
聖母が現れ、彼女の熱病を癒すと同時に、
この地に教会を建てるよう告げた。
すると真夏の7月に雪が降り、
牡鹿が現れて積もった雪の上に角で聖堂の図面を描いたという。
こうしてル・ピュイのノートルダム大聖堂が建てられ、
聖母ご出現の教会として崇敬を集めるようになった。
その後、ル・ピュイは、
サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の起点としての地位を固め、
今日に至る。
この地のノートルダム大聖堂の「黒い聖母子像」はあまりにも有名。
着衣の釣鐘形が特徴で、結婚、豊穣、多産の願いを、
数々の奇跡によってかなえてきた。
旅をふり返って……

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神人

かつてイエスは親友ラザロの死に際して、涙を流しながらなお、
『ラザロよ、(墓から)出てきなさい』と命じて蘇らせたとされる。
また、イエス自身が十字架に架けられながらなお、
『父よ、あの人たちを許してやってください』とつぶやかれた。
こうした意識状態というのは、
イエスが通常の意識状態と、普遍の意識状態の両方を同時に生きていたことを、
強く示唆している。
ただ単に、彼が人格者であったというだけでは説明がつかない。
瞑想講座のなかで必ずお教えする事実の一つは、
人間の意識は相対界を超え、
絶対のレベルに到達することが可能だということだ。
その意識状態は、当然、言葉では説明できないけれども、
しかし太古の聖典や聖者たちはこれをなんとか説明しようとして、
さまざまな文献を残してくれている。
瞑想中、われわれは例外なく、絶対の意識レベルにときどき侵入するが、
当初はそのことに気づかない。
が、なんでもそうであるように、しばしば経験することで、
徐々に分かるようになってくる。
ところで、さらに興味深いことは、
絶対のレベルに意識を確立することは、
実は相対界の、通常の意識状態を保ったままで可能だということだ。
相対と絶対の両方に、同時に意識が確立された状態は、
いわゆる「人でありながら神と一致した」状態に相当するが、
おそらく、イエスや仏陀がそうだっただろうと思われる。
キリスト教はもともと……

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【バガヴァッド・ギーター】2

【バガヴァッド・ギーター】第一章が、
『アルジュナ失意のヨーガ』と呼ばれるのに対し、
第二章は『叡智のサーンキヤ・ヨーガ』と呼ばれる。
神々の王・インドラの化身アルジュナは、
正義のために戦うべきか、愛のために戦いを放棄すべきか、
二つに一つの選択を迫られる。
人間として生まれたアルジュナの、
理性と感性、正義と愛との間に起きた葛藤……。
さて、インド哲学の6体系によれば、
われわれは理性によってこの世界を理解し、
悟りに至ることが可能なのであって、
これをサーンキヤの道という。
一方、感性によってこの世界を感じとり、
悟りに至ることも可能で、この道をヨーガという。
ところが、【バガヴァッド・ギーター】のなかでアルジュナが苦しむのは、
人間としてほとんど最高度に進化した理性と、
これ以上ないほどに深く豊かな感性との間の戦いであった。
結局のところ、【バガヴァッド・ギーター】は……

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【バガヴァッド・ギーター】

【バガヴァッド・ギーター】を初めて読んだ、というより目にしたとき、
まったく意味が分からないのには笑ってしまった。
サンスクリットで読んだからではない。
日本語訳を読んだのだ。
通常の、平易な日本語になっているにもかかわらず、
これだけ意味が分からないとは、さすがに「聖典」だと思った。
【ギーター】の意味が徐々に分かるようになった気がし始めたのは、
瞑想を始めてからである。
自分で瞑想して、内面の世界を探求して初めて、
外に書いてある、アルジュナという他人の経験であるはずの【ギーター】の中身も、
薄ぼんやりと見えてきたのだった。
今も、【ギーター】を読むたび、新しい気づきがあってハッとする。
だから、月に一度、木曜日に【ギーター】を解説するのは、
楽しみの一つだ。
今週の木曜日(31日)は……

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旅日記11

12/ 3(5日目)その1
この日最初の目的地コンクは、
聖母出現の地ル・ピュイからサンティアゴ・デ・コンポステーラに至る
巡礼の道のなかでももっとも重要な地の一つであり、
かつ、もっとも美しい村といわれる。
人口わずか300人余。
この村に千年の歴史を持つサント・フォワ教会では、
まず入り口上部の「タンパン」の美しさを堪能する。
『天国と地獄』、および神の前にひれ伏す聖女フォワは、
無名の天才彫刻家が彫ったロマネスク芸術の傑作といわれる。
頭を上に向けてその解説をしていたとき、
ちょうど霧のような雨が降ってきたのだが、
こうして雨に洗われ、風に吹かれて千年を経てなお、
タンパンに使われた淡いブルーが今も残っているのに驚いてしまう。
壮麗な聖堂で祈り、
何人かの方が教会のオルガンを弾かせていただいた後、
黄金の聖女像を拝礼。
伝承では、西暦303年、
聖女フォワは異教の礼拝を拒んだかどで鞭打たれ、
火あぶりにされて殉教した。
12歳の若さだった。
その聖女の頭蓋骨の部分が、この像に納められている。
旅をふり返って……

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癒し

古今東西、聖者や聖仙、神の化身と呼ばれる人びとは、
さまざまな奇跡を行なってきたと伝えられる。
イエスが最初に公に行なった奇跡は、
水をぶどう酒に変えるというものだったが、
過日の<プレマ・セミナー>では、
イエスが5つのパンと二匹の魚で5000人の人びとを満腹させた話や、
湖の上を歩いた話に触れた。
だが、さまざまな聖者のさまざまな奇跡のなかでも、群を抜いて多いのは、
病の癒しである。
病というものが、人間の不幸の
少なくとも何分の一かを占めるものであることを考えると、
必然的にそうなると思われるが、
【ヨハネによる福音書】第4章から5章にかけては、
イエスが行なったさまざまな癒しについて述べられている。
聖者や化身が、病を癒す。
それ自体、何ものにも代えられない恵みであるが、
では……

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旅日記10

12/ 2(4日目)その5
この夜、われわれはロカマドールから一旦、サルラに入った。
ロカマドールも、翌日の目的地であるコンクも、
いずれも高名な聖地ではあるのだが、
ロカマドールは人口が約600人、
コンクにいたっては人口約300人である。
50名近くが泊まれる“ちゃんとした”ホテルはない。
中世・ルネッサンス・古典といったさまざまな様式が混在する街サルラは、
13世紀から商業の中心地として栄えた。
名産のクルミやフォアグラ、トリュフをお土産に買えれば最高……
と思っていたのだが、
巡礼を優先させると、その時間はなかった。
実を言うと、
みすぼらしくてもいい、
場合によっては分宿になってもいいから、
ロカマドールかコンクに泊まれないかと、
私は旅の直前まで粘ったのだった。
「快適さ」だけでなく、「安全」という要素も考え併せると、
結局それは不可能だったのだが、
たしかにロカマドールもコンクも、すっかり安心できそうな宿はなさそうで、
しかもサルラで泊まったホテル「ド・セルブ」に入ると、
その雰囲気が私はひどく気に入ってしまい、
やはり旅行代理店の言うとおりであったと納得したのだった。
旅をふり返って……

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