宗研32


話はもとに戻るが、
勉強というのは当然のことながら学校で行なうことがすべてではない。
本を読み、映画を見、友だちや家族、親戚や周囲の人びとと接しながら、
知らない間にわれわれは多くを学んでいく。
私が高校二年のとき、
寮に若い舎監の方が赴任して来られた。
頭を角刈りにし、パリッとしたスーツを着ることもなく、
ひょろんと背の高い風来坊のような感じのその方は、
しかし東大の教育学部をちゃんと卒業していて、
話してみればたいへん面白い人だった。
ある日、この人は私の本棚をまじまじと見つめ、
そのほとんどが物理や数学の専門書であるのを発見した。
大学レベルの専門書をこんなにいっぱい読むのは大変だったろうと言うので……


学校であれほどの詰め込みがなされるなかで、
これらを読むのは至難のワザだと私は言った。
実際、そのためには、世界史、日本史、地理……といった、
暗記科目を勉強している時間はなかった。
それらは一夜漬けで済ませるしかなかったので、
それらの教師の一部は私のことをけしからん生徒だと思っていたに違いない。
そうしながらでも、私は若いうちに、
物理や数学を自分で勉強しておかなければならないと考えていた。
するとこの先生は言った。
「これだけの勉強をするのはたいそう立派なことかもしれないが、
しかしいい物理学者になろうと思ったら、
10時間の時間があったら、10時間勉強していてはいけない。
そのうちの4時間くらいは、裏山を散歩したり海を見たりして
過ごさないといけない」


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