宗研33


私は、しかし冗談ではないと思った。
今ですら、一部の教師に目をつけられているのである。
時間を捻出するため、ときに私は学校を休み、
寮で一日専門書を読んでいることもあった。
それなのに、4時間ほどは裏山を歩いたり、
海を見ているだって!!
あまりの認識のズレに、私は声もなく、
議論することもなかったように記憶している。
しかし今にして思えば、この先生の言ったことは真理の一部をついていた。
実際のところ、10時間あるうち、
4時間もそんなことをするのは不可能だったにしても、
すべての時間を勉強や仕事に費やすならば……


やはり人の精神は自由に飛翔することができなくなる。
たとえば広島学院では、基本的に宿題が出なかった。
それは夏休みも同じである。
それどころか、夏休みのうち二週間はまったく勉強しないで、
本当に休みなさい、と私に言った神父もいた。
それは、長い間に培われたキリスト教文化圏の智慧だったといえるかもしれない。
当時、なんとか時間をやり繰りすることに必死だった私は、
そんなことなど考える余裕もなく、
中学・高校の6年間を駆け抜けてしまっていた。


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