宗研31


かつて、ユダヤの民がローマの支配下にあって苦しんでいたとき、
イエスの人気を妬ましく思っていたファリサイ派の人びとが、
イエスを陥れようとしてこう尋ねた。
「先生、ローマ皇帝に税金を納めるのは、
 律法にかなっているのでしょうか、いないのでしょうか」
律法にかなっていると言えば、イエスはローマによる圧政を認めたことになり、
律法にかなっていないと言えば、皇帝への反逆者だということになる。
この企てに対し、イエスは、
『偽善者たちよ、なぜわたしを試そうとするのか』
としつつ、お金に彫られた皇帝の肖像を指し示して言った……


『皇帝のものは皇帝に、
  神のものは神に返しなさい……』(マタイ 22・21)
もともと、宗教は政治に口を差し挟みたくなるものだ。
また、政治は宗教をコントロールしたり、弾圧したりしたくなる。
同じ社会にあるものなのだから、互いにある程度の干渉は不可避であるにしても、
それが一線を超えるとよくないことは、
歴史をみれば明らかだ。
この両者には、どうしても相いれない部分があるのだから、
あくまで分離されているのが望ましい。
2000年前、政教一致が当然だった世の中で、
イエスはすでにそのことを指摘した。


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