結婚式 5

人ひとりが亡くなり、後に彼が遺言を遺したことが分かったとき、
これが公正証書でないかぎり、その遺言は速やかに裁判所に提出し、
間違いのないものであることを確認、
後の改変を防ぐという作業をする義務が、遺族にはある。
これを“検認”というらしい。
裁判所が検認の日に指定してきた6月7日は、
たまたま亡父の誕生日にあたっていた。
生きていれば、満96歳の誕生日を祝うことになっていたはずである。

この日、裁判所では、裁判官が、予定の4時を2分過ぎて入室してきた。
部屋に入るなり「いや、遅くなって失礼しました……」と言われた。
胸がそっくり返って、尊大な様子に見える。
が、それは私の勘違いだった。
裁判官は、体が不自由であったのだ。
体が歪み、反り返ったようになっていて、
手もご不自由であることが、書類を扱っているとすぐに分かった。
この体の状態で昔の厳しい司法試験に合格されるのは、
並大抵の努力ではなかったに違いない。
それでも彼は、笑顔を崩すことなく、検認の手続きは10分で終了した。

式に出させていただくためには、
この日の夜のうちに京都に入っておかなければならない。
実家には、3時間しかいられないことになる。
翌朝の7時までは一緒にいられると思っていた母は、
さすがにがっかりした様子を隠せなかったものの、
他ならぬYさんのことだというので、私の気持ちを理解してくれた。
そうして、さまざまな必要事を済ませると、
夜9時半の新幹線で、京都に向った。

新幹線のなかで仕事をしようと思っても……
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結婚式 4

Yさんとは、今までさまざまな人生の局面を共にしてきた。
最初の本が出る前から、もう二十何年も一緒にボランティアをした。
しかしその過程で、もともと忙しいYさんが、
多分に家庭生活を犠牲にしてきたことも想像に難くない。

ある日、休日のまる一日を使ってボランティアを行ない、
ああよかった、充実した一日だったと思いながらYさんの家に着いたとき、
分かったことがある。それは、
彼にとっては、お休みの日しか家族と過ごせる時間がないということだった。
そんなことは、よく考えてみれば当たり前であるにもかかわらず、
自分たちにとっての価値の追求の前についつい忘れ、
あるいは忘れたことにするというのは、男の特性なのかもしれない。
それをなんとかしなければと思う反面、
しかし、私も彼も、
小さくはあっても何か意義のあることをしたいという気持ちも強く、
結局、これをすっかりやめることはできなかった。
その過程においては、まだ幼かった子供さんたちにも相応の負担がかかったに違いない。
忘れたつもりになっていても、私は……
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結婚式 3 

Yさんと出合ったのは、『理性のゆらぎ』を書く前、
1990年頃だから、お嬢さんが生まれて間もない頃のはずだ。
Yさんのご家族と、ぼくと、友人で一緒に食事をしに行くとき、
前の車の後部座席からこちらをうかがい、笑顔を絶やさないその子をみて、
友人は「可愛い、可愛い」と言い続けた。
その友人もつい先頃、結婚し、
こうして同じ年にえりかちゃんも結婚することになった。
まだ24歳。本当に驚いた。

遠い将来、この子が嫁いでいく日を、
父親であるYさんはどんな思いで迎えるのだろう……。
そう思い、そのときはどんな言葉をかけたらよいだろうかと考えたこともあった。
かつては、「君が大きくなるまで、先生、ずっと待ってようかな」と冗談を言い、
「そのときはなんと、Yさんがぼくのお義父さんだ!」
などと言っては顰蹙を買っていたのに、
その彼女が結婚する。
それにしても、その日がこんなに早く来るとは思いもよらなかった。

しかし当日の午前、私は京都にいなければならない。
必然的に、その日の正午に予定されている結婚式には間に合わない。
残念だが仕方がない。
それにしても、残念だ……。
何度もそう思い、諦めた……はずだった。

ところが7日になって、しかも新幹線に乗ってから、
私は、どうにも諦めきれない気持ちになってきていた。
彼女の成長期、私もYさんも忙しく……
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結婚式 2

話は4日(火)にさかのぼる。
次の土曜日、すなわち8日に、私は京都にいなければならないことが判明した。
さりげなく書かれたその記述は、しかし、
数ヶ月前から決めていたあることを諦めなければならないことを意味していた。
8日の正午、Yさんのお嬢さんの結婚式が都内で予定されていたのだった。

前日の7日(金)には、どうしても福山に行かなければならない。
あることの手続きのため、裁判所に行かなければならなかったのだ。
「裁判官は、16時ちょうどに入室されます。
それには決して遅れないでください」
事務官からそんなことを言われていたので、
もともと、前日の6日に福山に入るつもりであった。
ところが、あれもこれもと仕事をするうち、6日は結局動けなくなり、
7日も、早朝から起きてやっているのに仕事が終わらない。
例によってぎりぎりに自由が丘の駅に出て、特急に飛び乗り、
新横浜の駅で10分ほど時間があるので新幹線の切符を買おうと思ったら、
意外にも長蛇の列……。
やっと切符を買ってホームに駆け上がるとスルスルッと列車が入ってきた。
それに乗り遅れれば所定の時間には着けないという、まさにその列車であった。

(乗る前にお弁当を買いたい……)
そう思って一旦は売店のほうに向おうとしたが……
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結婚式 1 

「おはようございます。
先生、起きてらっしゃいますか……?」
朝、携帯が鳴り、女性の声がした。
(気をきかせてモーニング・コールしてくれたんだ。
だったら今、5時くらいか……)
そう思って「何時?」と聞くと、
「5時52分です」
「なに!!」
私は、驚いて飛び起きた。

この日、私は朝5時台にはホテルを出て、
京都のお寺3カ所で瞑想し、なおかつ京都で食事をし、
それから新幹線に乗って、東京に向かわなければならなかった。
京都を出る最終のタイムリミットは、9時12分発の「のぞみ」だった。
それに乗り遅れると、非常に悲しいことになる。
なのに……もう5時52分……。
セットしたと思っていたホテルのアラームは、
うまくセットできていなかったのだ。
それにしても、前日、ベッドに入ってから……
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瞑想のヨーガ

久しぶりに、上野公園、隅田公園に行くことができた。
Yさんと私の父の、月の命日近くにお弁当を配り始めてから半年が過ぎたが、
この2ヶ月は行くことができなかった。
原因の一つは、Yさんの会社の主なスタッフの方が、
健康上の理由で退職されたことにある。
おかげで、ただでさえ忙しいYさんは、
一週間を通じて、夜9時より前があくということがなくなってしまった。

何の因果か、ほとんどときを同じくして、
私のスタッフの一人も健康を損なったので、
私のほうもますます貧乏暇なし状態に陥ってしまった。
そういうことで、少し間があいてしまったが、
今回Yさんが調達してくれた特製幕の内弁当はいかにも美味しそうで、
思わず自分が食べたくなるようなものだった。
だが、そのことよりも何よりも、
あの厳しかった冬を越し、ホームレスの皆さんが今は比較的薄着、
軽装でゴロンと眠っておられるのを見ると、ホッとする。
よくぞあの厳しかった冬を越してくれた……。
もちろん、健康になって、社会復帰されればそれに越したことはないのであるが、
なかなかそれが難しいとなれば、なんとかして生きていていただく他はない。

ところで、読者の皆さんはご存知のように、
私は会員の皆さんと、ときどき急に浅草や鎌倉に行って、
瞑想したりしなければならなくなることがある。
タクシーで行ってもよいのであるが、
浅草も鎌倉もタクシーで往復すればそれなりの費用がかかってしまい、
当事者の方にとって結構な負担となってしまう。

そこで、皆さんにお願いがあるのだが、
車と免許をもっておられて、
週のうち、○曜日ならば浅草や鎌倉に乗せて行ってやってもよい、
アート オブ サイエンス・中根分室まで1時間程度で来ることができる、
という方はおられないだろうか。
週一日でもそうしたボランティアができるという方がおられたら、
ご一報いただければ嬉しい。
もちろん、高速代や駐車場代、ガソリン代などと、
ささやかながらのお礼をお渡ししたいと思っている。

私は、このブログを投稿したらすぐに実家の母の様子を見にいき、
明日は京都のお寺に立ち寄る。そして
明後日9日(日)は、月に一度の<プレマ・セミナー>の日であるが、
【バガヴァッド・ギーター】はいよいよ第6章に入る。
この章のテーマは、まさに『瞑想のヨーガ』『ディヤーナ・ヨーガ』だ。
聖者パタンジャリの『ヨーガスートラ』のなかでも……
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黄金週間の女

聖者による指示で、突然鎌倉に行くことになった。
私の知るかぎりの鎌倉では、空前の人出……。
まず、駐車場という駐車場で「満」の字が灯っている。
どのお寺に行っても、人、人、人……。
敬虔な気持ちをお持ちなのだろう、
多くが女子のように見うけられる。
レストランというレストランでも、人がずーーっと並んでいる。
「どれくらい待つようですか?」
「そぉ〜〜ですねぇ。1時間から2時間でしょうか」
それならということで、コンビニでお弁当を買って温めて食べたが、
それでも、鎌倉のこれを食べたい! というものが決まっているのだろうか、
人びとは行列をつくってただただ待っている。

この人びとは、おそらくはこうなると知りながら、
どうしてこんなときに鎌倉に来るのだろう。
単純にそう思ってしまうが、
よく考えてみれば、私もこうして鎌倉に来ているのである。

その昔、インドで、翌日お寺に行こうというような話になったとき……
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黄金週間の男

かつてこの欄に、「黄金週間の男」というエッセイを書いた。
彼は黄金週間中も、一日も休まず出勤した。
そう、彼が休むのは年に一度、元旦だけなのだ。
会社には結構な怠け者もそこそこいたらしく、
実質、会社は彼の働きだけでもっていた。
どんな深いご恩が社長にあるのかと聞いても、
それほどのこともない。
ただ淡々と、彼は仕事をするだけだというのである。

そんな、【バガヴァッド・ギーター】の教えを体現したような彼の会社も、
時の流れのなかで経営は徐々に圧迫され、
今はもうない。
では、彼のあの会社に対する忠誠はなんだったのか。
それは無駄になったのかといえば、
本人はそう思っていない。
彼は今もまた、新しい会社で淡々と働いている。

ところで、今回のハワイ巡礼旅行、
パンフレットができてお手許に届いたばかりだというのに、
なんと締め切りが黄金週間中の6日(月)に迫っている。
今回利用させていただくJALは、
出発の45日前を過ぎると、状況に応じて座席をどんどん落としていくというのだ。
なので、連休明けから、席はだんだんと縮小されていくらしい。

先日お知らせが届いたばかりだというのに、
それでも現在、数名のお申し込み者がいる。
こういう方たちのお名前を見ると……
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彼岸の中日 4

(3月20日のFax・続き)
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さて、日蓮の著した『彼岸抄』という仏典には、
彼岸は善行・悪行ともに、普段よりも大きな報いを生ずる特別な期間なので、
悪事を止め、善事に精進するように勧めています。
(急にそう言われても、難しいですね。)
その部分を以下に引用させていただきますから、
もしその気になるようだったら、暇なとき、気楽に読んでみてください。
頭の老化防止にもいいかもしれませんが、疲れない程度にしてくださいね。

『梵王・釈王・閻魔王の三人の計(はからい)として三巻の帖帳あり。
善悪無記に各一帖也。
是の帖を勘定の為に欲色二界の中間、中陽院と云う所に冥衆集まり、各々の帳を談合し、八度これを校し三度これを覆す。治定再治して印判を押し、善悪を定判し決断する時節也。若しこの時衆生有って一善を修すれば、
仮令(たと)え衆罪の札に著く可きも善根の日記に著くるなり。
悪業を作れば善の筆を留めて悪の札に定む。
是(ここ)に知んぬ、善悪決定の時節なり。
二季の時正、此の時に小善は大善となる也。
小悪を作ればまた大悪となる者也。
善悪二の道を定むといえども、一善なれども能く菩提の彼岸に到たる故に彼岸と號する也。若人年々月々の罪業の札をけして善の札に改め、決定して菩提を得んと欲する者、
此の七日の内に一善の小行を修せば、必ず仏果菩提を得べし。
余の時節に日月を運び、功労を尽くすよりは彼岸一日の小善は能く大菩提に至る也。
誰の人か、此の時節を知って小善をも修せざらん。
彼の極熱の日に藍を曝し、極寒の水に錦を洗うに色変ぜざるが如く、
又蜀川に錦を洗うに其の色を倍し、楚山に玉えを練るに光をはくが如し。
此の日時に善根を修すれば永く改転無く能く増益せん』
『彼岸抄』からでした。

今日もこれから、一生懸命仕事をします。

お父ちゃんは、昔……

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彼岸の中日 3

(3月20日のFax・続き)
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もともと、悟りに至るために越えるべき迷いや煩悩は川に例えられるのですが、
その川は、「三途の川」とは関係がないそうです。
その向こう岸に涅槃があるとする考え方から、これを「彼岸」と言います。
春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、
昔の人は西に沈む太陽を拝み、はるか彼方の極楽浄土に思いをはせたのですね。

日本では古くから、彼岸の供え物として「ぼたもち」と「おはぎ」が有名ですね。
この二つの間には厳密な区別はなく、
彼岸の頃に咲く牡丹(春)と萩(秋)に由来するんだそうです。

昔、芦田に住んでいた頃ですからまだ幼稚園に上がる前、
近くの牛を飼っていた家で法要が営まれていて、
(たぶん、戦艦大和に乗っていたおじさんの家だったと思う)
そこに、黒い餡のよく乗ったぼたもちがたくさん並べられていました。
(あれを思い切り食べてみたい……)などと思いながら、
窓の外から中の様子をうかがっていたら……

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