宗研27

イスカーナヤマトさんから、またまた驚愕のコメントが届いた。
なんと氏は、ウーリック先生の確定申告を受け付けられたという。
先生がいろいろお世話になり、ありがとうございました……
という前に、キリスト教通の方なら、
この話を聞いて、アレ? と思われたかもしれない。
ウーリック先生は、大木神父と同じく、イエズス会士である。
イエズス会は、イグナチオ・ロヨラ、フランシスコ・ザビエルらが創設した、
キリスト教世界最大の修道会の一つである。
ところで、カトリックの修道士である彼らは、必ず3つの誓いを立てている。
清貧・貞潔・従順という内容のそれは、要するに……

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宗研26

かつて学んだ学問を一生生かせる、という方はそう多くはないかもしれないが、
昔親しんだスポーツを一生楽しめるとしたら、
それは大変な財産だ。
私の母校では、宗研に入るかどうかは中学一年の一学期に決めねばならなかったが、
通常の部活動は二学期から始まった。
一年一学期は勉強に慣れなさい(または宗研に入りなさい)、
部活動は二学期から行ないなさい、という方針だった。
当初、私は卓球部に入ろうかと思っていた。
というのも、小学校のとき卓球が流行った時期があって、
毎日のように練習していたので、
中学の卓球部に遊びに行ってみると、
一年上の先輩と互角、とまではいかないが、
満足に打ち合えることに気づいたのだった。
卓球部の部長は、
後に私にカトリック要理を教えてくれることになる筭田神父だったが、
神父とも同様に打ち合ったので、
彼の内心の驚きが伝わってきた。
それを見ていただれもが、私が卓球部に入ることを確信したらしいが、
実際にはそうならなかった。
一年の夏休み、たまたま福山市で、中国地方の体操選手権が行なわれた。
体操部の部長先生に勧められてそれを見に行った私は、
すっかり魅せられてしまったのだった。
体操は、一生できるような競技ではないし、第一危険だと言って、
父は反対した。
しかし、それを聞いていた兄は、卓球だって危険だと言った。
なぜかと問われた兄は、やや深刻そうな顔をして答えた……

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宗研(番外編7)

算数ができないと簡単に損をする話を書いたが、
もちろん、国語ができなければ新聞も読めないし、
英語ができなければ、外国に行ったときにとりあえず困る。
さまざまな教科がそれなりに大切だということになるが、
では、その優先順位はどうか。
広島学院にいたとき、あるアメリカ人の英語の先生(神父)は、
すべての学科のなかでもっとも大切なのは……

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宗研(番外編6)

イスカーナヤマトさんから、またも考えさせられるコメントがあった。
世の中には、およそ役に立っていないように見えるものがあまたある。
物質しか信じない人にとっての宗教などはその典型だろうが、
たとえば、過去に皆さんからいただいた質問では、
ソフィアビルの入り口正面にできたケンダマのような木の柱とか、
屋上に見える巨大なタマネギは、何のためのものなのかとか……。
言われてみれば、とりあえず、
これらが何かの役に立っていると主張するのは、われわれにも困難なのである。
では、算数や数学はどうなのか。
かりに高校で一生懸命勉強し、微分積分法が使えるようになったとしても、
およそ実生活で、そのような計算法を使うことは、
おそらくは誰にもない。
しかし、よくよく考えてみれば、
算数や数学ももちろん、それなりに役に立っている。
かつて、アメリカの大学の寮に住んでいた頃、
学生が家賃を計算してくれたのだが、
単純な足し算、引き算がおぼつかなかったりするので、
あやうく損をしたり得をしたりしそうになる。
得をしそうだったときにそれを指摘すると、
彼は笑いながらも怪訝そうな顔をして……

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宗研(番外編5)

地方から都会に出た方なら誰でも心当たりがあると思うが、
郷里出身の方と出会うと、なにかしら心温まるものがある。
私の青春の6年間が広島で失われたことは以前に書いたが、
かつて、東京で出会った一人の可憐な少女がノートルダム清心の卒業生と知ったときには、
失われたものを少しだけ取り戻したような気になったものだ。
しかし、何年か前に知り合ったある方が、
広島商業出身と聞いたときの私の喜びようというのは、それをも凌ぎ、
え゛〜〜〜っと大声を上げてしまった。
その方は今回の広陵の活躍を大変喜ばれていたので、
広陵は広商にとってはライバルなのに……と申し上げたところ、
ライバルだけれども、互いに一生懸命応援し合う仲でもあると言われた。
ところで、過去、広商は春・夏あわせて6回、
広陵も3回優勝している。
甲子園大会が春・夏あわせて168回しか行なわれていないことを考えると、
2校で9回優勝は驚異的だ。
まことに、私にとって広島の“名門”といえば今も広陵と広商であり……

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宗研(番外編4)

先日、甲子園大会の決勝戦前日に書いたエッセーに対して、
いくつかの情報が広島の方から寄せられた。
そのうちの一つ、
宇根洋介さんは最近、民放の高校野球中継で解説をしておられたことが、
中国新聞に出ていたとのことだった。
ちなみに、中国新聞とは、中国地方の新聞であり、
中国の新聞ではない。
40年前の広陵の準優勝投手も、現在57歳とのこと。
はるか後輩たちの活躍は、万感胸に迫るものがあったに違いない。
一般に、若い頃にその基礎を学んだことは……

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宗研25

『祈りの言葉』の冒頭にも書いたが、
マザー・テレサをはじめとするキリスト者たちの活動を、
日本人はこの上なく愛する民族だ。
マザー・テレサについて書かれた本や写真集はたくさん出版され、
旅行代理店はツアーを組織して、
カルカッタの修道院にボランティアに出かける。
そうして、充実した、生き生きした顔をして帰ってくるのだ。
しかしだからといって、帰国した彼や彼女らがカトリックに改宗するかといえば、
そうではない。
日本人のなかのキリスト教徒の割合は、約1%で、
しかもそのうち、ローマ・カトリックは約3割でしかない。
日本人がキリスト教徒たちの活動を深く尊敬していることを考えると、
この割合がもう長く変化しない事実を説明するには……

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宗研24

聖書のなかには、いくつか、
キリスト教徒でなくても知っているような有名な文言がある。
『敵を愛し、
  迫害する者のために祈れ……』(マタイ 5・44)
『心の貧しい者は幸いである。
 神の国は彼らのものである……』(ルカ 6・20)
『求めよ、そうすれば与えられる。
  探せ、そうすれば見出す。
   叩け、そうすれば開かれる……』(ルカ 7・7)                            
宗研では、聖書を最初から順番に読むようなことはしなかった。
その日、その日のテーマとなる部分を一つずつ学び、神父の解説を聞くのが、
宗研の“楽しみ”だった。
ところで、これらに加え、次のものもまた、
多くの日本人が知るところの文言だ。
『神は、その独り子をお与えになったほどに、
  世を愛された……』 (ヨハネ 3・16)
【ヨハネによる福音書】の冒頭近くに突然登場し、
キリスト教の根幹を成すとも言われるこの文言を最初に宗研で聞いたとき……

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宗研(番外編3)

小学校三年のとき、夏の甲子園大会で、
広島県代表だった広陵高校は勝ち進み、決勝に進出した。
決勝戦の朝、そこここで、その話題が語られていたのを覚えており、
プロ野球球団を持つ広島県民にとって、
やはり野球が大きな関心事であることを子供心に知った。
以後、広陵もそうだが、広島県代表としては、
広島商業も何度か、全国制覇を果してくれた。
私が高校二年のときの優勝監督の名は迫田、
一番は金光、四番は楠原だった。
決勝で、一打逆転のチャンスに打席に向ったのはその楠原だったが……

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宗研23

ルルドの楽しみシリーズとして、個人的に忘れられないのは、
さまざまな種類の聖母像を見られることだ。
ルルドは、今も豊富な水量を誇り、奇跡も起き続けていて、
聖地として大きくなり続けている。
世界中から巡礼にやってくる人びとが泊まるためのホテルも必要だし、
巨大な慈善病院も建てられた。
そして、その人たちのための物産店やレストランも、
多数立ち並ぶこととなった。
これらの“産業”を単純に好まないと感じる、
真面目な信者さんたちもおられるかもしれない。
が、聖域のなかにそうしたものは決して入り込まないし、
私個人としては悪いことのようには思えない。
なにしろ、あれだけの種類のマリア像を心ゆくまで見られるのは、
ルルドがおそらく世界一ではないかと思うからだ。
こうして、5年続けて聖母像を探求し続けた私は、
いつしか聖母像評論家と呼ばれるようになった。
ルルドに行くことになって、どのような聖母像を買うか迷われたなら、
どうか私に相談していただきたいが、
その基本はやはり……

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