宗研(番外編6)


イスカーナヤマトさんから、またも考えさせられるコメントがあった。
世の中には、およそ役に立っていないように見えるものがあまたある。
物質しか信じない人にとっての宗教などはその典型だろうが、
たとえば、過去に皆さんからいただいた質問では、
ソフィアビルの入り口正面にできたケンダマのような木の柱とか、
屋上に見える巨大なタマネギは、何のためのものなのかとか……。
言われてみれば、とりあえず、
これらが何かの役に立っていると主張するのは、われわれにも困難なのである。
では、算数や数学はどうなのか。
かりに高校で一生懸命勉強し、微分積分法が使えるようになったとしても、
およそ実生活で、そのような計算法を使うことは、
おそらくは誰にもない。
しかし、よくよく考えてみれば、
算数や数学ももちろん、それなりに役に立っている。
かつて、アメリカの大学の寮に住んでいた頃、
学生が家賃を計算してくれたのだが、
単純な足し算、引き算がおぼつかなかったりするので、
あやうく損をしたり得をしたりしそうになる。
得をしそうだったときにそれを指摘すると、
彼は笑いながらも怪訝そうな顔をして……


なぜ指摘したのかと私に問うたのだった。
そういう場面は、わが国ではあまり経験することがなく、
やはり日本はいい国だなあということになる。
こういった実用性をおくとしても、
算数や数学はわれわれに、論理的に思考する訓練をさせてくれている。
論理的な思考で世の中すべてがうまくいくわけではなく、
ときには非論理的な考え方や感じ方をしなければならないことも多々あろうが、
しかしだからといって、論理的な思考ができなければ、
人生のさまざまな局面で失敗することは目に見えている。
かつてクリシュナは言った。
『この世界に存在するもののすべてが、
 存在理由をもっている。
 そうでなければ、どうしてこのわたしが、
 それらを存在させたままにしておくだろうか……』
こうして当面、ソフィアビルのケンダマやタマネギは存在し続けるだろうし、
算数や数学で悩む生徒も、
あとを絶ちそうにないのである。


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