神の肉体


先月の29日、宮城県の生徒さんの探索の壁に直面し、焦りを深めていた頃、
一方ではインドから、やはり何度も苦しい連絡をいただいていた。
サイババにきわめて近い方その方からの情報によれば、
過去2ヶ月ほど、サイババは心拍が弱くなっており、
メールをいただいた前日、心臓にペースメーカーを埋め込む手術をされた。
また、肺に溜まっていた水を取り除く手術もされたという。
非公式の話だったので、私はそれを胸のうちにとどめ、
日常の仕事に当たっていたが、
後に公式発表が入ってきた。
『昨年11月に85歳の誕生日を祝われた
 バガヴァン・シュリ・サティア・サイ・ババ様は、
 3月28日の午後、入院されました。
 心拍が遅れ、めまいを伴っておられました。
 そのため、恒久的ペースメーカーが入れられました。
 現在、ババ様の臨床的パラメーターはすべて申し分なく、
 状態は安定しています』
 サティヤ・サイ高度専門病院院長 A・N・Saphaya
しかしその後入ってくるニュースには、肯定的なものと否定的なものの両方があって、
なかには、サイババの体はもはや生命反応を有していない、
すでに手術中に亡くなられたというものすらある。
このようなことを見聞きするとき、なんとか速やかに回復してほしい、
いくら人は肉体ではないとはいえ、
肉体だけでも苦しまないでほしい……と、われわれは強く願う。
東北地方で苦しむ人びとの苦しみが早く終息してほしい、
行方不明の方が一人でも多く見つかってほしい、と願うのと同じだ。
しかし世の中には、一切、
この世の推移については願う必要がないという考え方もある。
そうしたことはすべて神の意志であり、自然の摂理なのだからと、彼らは言う。
私自身は、そうした潔い心の状態を常々尊敬し、
自分もそのような心境になりたいと、心から思うのである。
しかし果して、宗教的・哲学的には、どちらの態度が正しいのか。
われわれはどのように祈るべきなのか……。
聖書のなかには、イエスが自ら「祈り」を教えたという場面が、二か所だけある。
神人イエス自らが教えたその祈りは、『主の祈り』または『主祷文』と呼ばれるが、
実にイエスは……


祈りというものに対するわれわれのこの問いにも、
そのときに十二分に答えた。
ユダヤ教という伝統の枠内で、
当時の普通の知性や感性しか持ち合わせない弟子や民衆に対してそれを説くのは、
決して簡単なことではなかったはずだが、
それをイエスは、二度に分けて、
したがって聖書のなかでも二か所に渡って教えておられる。
明日7日の<木曜くらぶ>では、
冒頭から、イエスの教えた「祈り」の本質に迫り、
また、過去に出てきた予言の文言から、
この時期にサイババの肉体がこうした状態にある意味と、
現在の最新の状況についてもお話ししていきたい。


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