結婚


聖書のなかでイエスは、性と結婚について語った有名な箇所は、
いずれも『山上の垂訓』のなかに見られる。
そのうちの一つは、次の文言である。
『みだらな思いで他人の妻を見る者は、
 すでに心の中でその女を犯したのである。
 もし、右の目があなたをつまづかせるなら、
 えぐり出して捨ててしまいなさい。
 体の一部がなくなっても、
 全身が地獄に投げ込まれないほうがましである』
       (マタイ 5章28-29)
そしてもう一つは、
『不法な結婚でもないのに、妻を離縁する者は誰でも、
 その女に姦通の罪を犯させることになる。
 離縁された女を妻にする者も、
 姦通の罪を犯すことになる』(同 32)
前者の文言について、
男性雑誌のインタビューを受けたカーター大統領候補(当時)は、
正直、かつ不用意な発言で支持率を落とした。
また、後者については、
かつてイギリス王がこの文言に反したとして破門され、
イギリス自体がカトリック教会から離反するという歴史的事件に発展した。
だが果して、これらのイエスの言葉は、普遍的真理なのだろうか。
本当に、イエスはそう言われたのか。
これについて考察するためには、
実はまず、「結婚」という概念について知る必要がある。
いかなる聖典の文言も、聖者の言葉も、
常にその民族の歴史や伝統、風土や文化のなかで語られるからである。
たとえば、日本に一夫一婦制が確立されたのは、
明かに、キリスト教徒西欧諸国の影響による。
では、ユダヤ教時代に始まり、キリスト教における「結婚」の概念は……


果してどの程度普遍的なものなのだろうか。
一夫多妻制や一妻多夫制は、
自然の法則に反するものなのか。
『マハーバーラタ』に登場する神々の息子たちは、
5人の兄弟で一人の妻を共有したが、
ヴェーダにおける結婚の概念はどうなのか。
今回の<木曜くらぶ>では、こうしたことを考えるなかで、
聖書のイエスの言葉をさらに深く考察する。
※今月の<木曜くらぶ>は、特別に11月3日(水曜・祝日)に行ないます。


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