人により、人生により、
われわれはさまざまなカルマをもって生まれてくる。
そのうち、肯定的なカルマは、
適切なとき、適切な相手から、肯定的なかたちで返ってくるだろう。
それは、歓びや幸福を伴ってやってくるだろう。
一方、否定的なものは、やはり適切なとき、適切な相手から、
否定的な姿をとって返ってくるだろう。
苦しみや、不幸を伴ってやってくるだろう。
それらのありさまを見たり経験したりしていると、
そのあまりの驚くべき、恐るべき様には言葉もないが、
自然界の法則は誰も免れることができない。
誰もが膨大な量の否定的カルマをもって生まれてきているに違いないが、
しかし、たとえそうであったとしても、
何らかのよい行為をすることでそれらを解消することが可能な場合がある。
たとえば「瞑想」により、この世界の深いレベルに入っていくことで、
われわれはそこにある不調和や傷、否定的なカルマを解消することができる。
そのおかげで、本来であれば3年後に癌として発症するはずであったカルマは、
瞑想中のちょっとした雑念や不快感によって、去っていくかもしれない。
または、苦しんでいる人を助けることで、否定的なカルマは解消され得る。
それにより、本来であれば5年後に事故のかたちで訪れるはずであったカルマは、
知らない間に解消されているかもしれない。
そうしたことを、特段考える必要も、本来はない。
「瞑想」はわれわれに、
経験しなければ到底分からない静けさや豊かさを与えてくれるし、
人を助けることもまた、
経験しなければ分からない深い満足感を与えてくれる。
いろいろな難しいことを考えなくても、それだけで十分なのである。
何をどう捉えるかは別にしても、ともかく、会員の皆さんのなかに、
貧しいがために結婚できない男女のために結婚式を出される方たちがおられる。
貧しい家庭のために、家を建てられる方もおられる。
また、解説中の【バガヴァッド・ギーター】第3章に詳述されているように、
地上に生きるわれわれには、
さまざまな機会を通じて神々をお喜ばせするという神聖な務めがあるが、
そうした儀式を行ないたいと願っておられる方もいる。
それらの結婚式や儀式がどのように行なわれているのか、
実際に見てみたいという皆さんがおられる。
家がどのように建っているのか、
見て、入居する皆さんと話してみたいという方もおられる。
もとより私自身は、
これらの儀式や落成式に自らあずからなければならない義務がある。
こうして今年も……


皆さんとご一緒に、
インドを訪れることとなった。
前回のインド旅行の旅日記も完結していないのに……である。
しかしともあれ、
12月11日(土)出発、18日(土)帰国で、
われわれは通常では行くことのできない、
深い内面の旅をすることになる。


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