家系


いつ帰国できるのか……。
まったく分からず苦しむ状態が何日も続いた。
この日もほぼ不可能……とまずカウンターで言われた21日に、
一時間、二時間と空港で粘り、奇跡的に全員、帰国できる日を迎えた。
詳細は、旅日記本編で語るとして、
しかしその前に昨年12月のインド旅行の旅日記を完結させなければならない。
しかしその前に第61期瞑想講座があり、
そしてこの木曜日は、昼間四谷のエイトスター・ダイヤモンドで講演の後、
夜の<木曜くらぶ>は『マタイによる福音書』の解説第一回目となる。
3年余にわたって続けてきた【ヨハネによる福音書】は、
おそらくイエスの弟子のなかでも最も意識の高かったヨハネによるものだ。
それだけに、【ヨハネ】は出だしからしてこの上なく崇高な文言に満ち満ちていたが、
一方、マタイは、
きわめて実際的なイエス伝を残してくれた。
一般のわれわれが読んで分かりやすく、
面白いのは、おそらくこの『マタイ』のほうだ。    
その冒頭は、ユダヤの父祖からイエスに至る系図に始まる。
自然界が人類に真理を伝える際、
「家系」は重要な手段の一つとして用いられた。
すなわち、生理的なDNAは、単なる物質ではなく、
そのなかで意識のレベルの何かを同時に伝える。
そうでなければ、家系というものが、
人類社会においてこれほど尊重されることはなかったに違いない。
『マタイ』冒頭には……


アブラハムの子・ダビデの子としてのイエスの家系が、
あますところなく伝えられる。
そこからユダヤ教が興り、
さらには世界宗教としてのキリスト教が始まった、
ある重要な何かが伝えられているのである。
そこに実は、
壮大なユダヤ・キリスト教を語る際の本質が隠されている。


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