旅日記30


4月22日-1
ラーマクリシュナの僧院もさることながら、
それよりも私は、ある一軒の家が気になっていた。
かつてここで48日間の滝業を行なっていた際、
火事になったところをたまたま通りかかった場所だ。
その後、その家の人びとと交流が始まり、
ある晩、子供が一人で私のところを訪れた。
言葉がまったく通じないものの、蟻入りのラーメンを一緒に食べ、
子どもがなついたころ、私はクットララムを離れなければならなかった。
その後もお金や、品物を送り、
それで学用品を買い、必ず学校に行かせるようにと言づけた。
お金は無事に届いているのか。
それで本当に彼らは学校に行ったのか。
今はどうしているか……。
その同じ場所に、別の小屋が建っていた。
果たして、あの家族は今、どうしているいるのか……。
そう思って恐る恐る、その場所を訪ねると……


なかから女が飛び出してきた。
まるで身を投げ出さんばかりにして、私の足にしがみつく。
15年前の、あの女だった。
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他の為に生きる者
彼だけが生きている
他の為に生きぬ者
彼はむしろ死んでいる
(スワミ・ヴィヴェーカナンダ)

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僧院のスカウトに心ぐらつく


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