鬼才1


1996年……だったと思う。
遠藤周作先生の追悼集会に出席していたときのことだ。
私が特に先生の関係者だったわけではないが、
二度にわたる対談が本にもなり、
遠藤先生の秘書の方にもずいぶんお世話になったので、
そのような通知が機械的に来たのかもしれない。
とにかく、この集会で、佐藤愛子さんと話していたときのことだ。
話が「小説」論の佳境に向ったちょうどそのとき、
唐突に、われわれの間に割って入ってきた人がいた。
その人は割って入るや、笑顔をふりまき、大声で辺り構わず挨拶をし、
そうして去って行かれた。
まったくの突然で、あれほど失礼な行為もそうない。
しかし、本人には申し訳ないという気持ちなど微塵も感じられず、
私は前にも後にもなかった珍しい経験をした。
それが、松平康隆だった。
「常識を何倍にしても、たとえ100倍にしたとしても、
 その延長線上には、常識を少し膨らませたような結果しか待っていない。
 金メダルは、非常識の延長線上にしかないんだよ」
かつてこう豪語したという松平男子バレー元監督が亡くなったのは、昨年の大晦日。
マスコミはこぞって、日本(男子)バレー中興の祖と讃えた。
そうだろう。
氏が男子バレーの強化に携わってからというもの、
64年の東京五輪で銅メダル、68年のメキシコ五輪では銀メダルを奪取した。
そうして、私が中学二年のとき、
手に汗握るようにして観戦した72年ミュンヘン五輪の男子バレー決勝……


当時、実質的にプロといわれたステーツアマ・東ドイツを撃破して、
氏は金メダルを勝ち取った。


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