沖縄

 取材で沖縄に行った。二日間……の予定だったのに、思わぬ偶然が重なって一週間近い滞在となった。
 二日目の朝、飛行機の便を検討していたとき、携帯が鳴った。沖縄に住む、知人の方からだった。だがこの人とは、二年に一度くらいしか話をしない。この前お会いしたのは四、五年も前で、最初、何故私が沖縄にいることを知っているのかが理解できなかった。実際、彼は、私が東京にいると思っていたのだ。
 この人は最近沖縄に移住し、ある会社の副社長に就任したという。ところが、その会社の社長も、私の存じあげている方だった。まったくの偶然だった。
 彼らに連れられ、この晩、私は琉球舞踊を見ることになった。それは、これまでに見たどんな踊りとも違って妖艶なものだった。
 「明日は首里城に行きましょう。滞在は是非、もう一日だけ延ばしてくださいね」
 琉球王家の末裔である社長さんにとって、首里城は“実家”のようなものらしい。こうして取材は、思わぬ方向へ展開することとなった。

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メジュゴリエの聖母のメッセージ

 1981年からメジュゴリエに出現している聖母の最近のメッセージを、毎月一度、この欄でご紹介しています。
 愛するかわいい子供たち!
 今日もまた、あなた方を祈りに招きます。小さな子どもたち、祈りは奇跡を起こします。あなた方が疲れたとき、病気のとき、人生の意味が分からなくなったとき、ロザリオを手に取って祈りなさい。祈りなさい、祈りがあなた方にとって、救い主との喜びあふれる出会いとなるまで。わたしはあなた方とともにいます。小さな子どもたちよ、あなた方のために取り次ぎ、あなた方のために祈っています。
 わたしの呼びかけに応えてくれてありがとう。(4月25日)
(註:ロザリオの祈りについては、『最後の奇跡』78ページをご参照ください)

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集合的意識

 日曜の朝、新聞を見て驚いた。「小泉新総裁誕生へ」という大見出しが、一面トップを飾っているではないか。前の日のエッセーで、「結果は予断を許さない」と書いたばかりだった。
 結局、堕落し尽くした自民党にはもう我慢できないという大勢の気持ちが、派閥と業界団体の締めつけ、利益誘導に勝った。その象徴となった小泉新総裁には、おめでとうございますと申し上げる一方で、これからが大変ですねと言うほかはない。
 実際、「改革」などというものは、一朝一夕にはできない。それは、役職が変わっても、制度がいじられても、人びとの意識が変わらなければ政治は変わらないという、単純な理由による。93年に自民党政権が崩壊したとき、政治は変わると思われたが、実際には政権党が変わっただけで政治の本質は変わらなかった。「すべてをひっくり返したいんだよ!」と言って都知事になった青島氏も、都政を変えることはできなかった。変えようがなかった。
 結局、国の命運は政治家が決めることはできない。それは、総体としての国民が決める。国民の意識のありようが決める。それ以上でも、以下でもない。

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国の将来を決めるもの

 自民党総裁選も大詰めを迎え、連日マスコミを賑わしている。一政党のこととはいえ、実質的に総理大臣が決まるのだから、それも当然である。
 話題の中心は、やはり小泉氏だ。郵政三事業の民営化を始め、言うことが分かりやすいので人気がある。が、この人、つい先日までは森派会長として派閥を仕切る立場にあった。そんなに派閥が大事かと問われ、小泉氏は、「討ち入りの直前まで、亡き主君の未亡人にもそのことを明かさなかった大石内蔵助が、オレは好きだ」と答えたという。
 そうして、彼は派閥を離脱した。いかにも、本音ならば希望の星と言われてしかるべきである。自民党は危機に陥る度、こうしたスターを世に送り出し、再生を図ってきた。
 歴史的役割を終えつつあるようにも見える自民党は、再生に向けてスタートするのか。あるいはそれは、消え入る前に一瞬輝きを増したロウソクに過ぎないのか。結果は予断を許さない。少なくとも野党はこぞって、もう一方の橋本氏の当選を願っているに違いない。

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十字架上の死

 先週、「13日の金曜日」のなかで、イエスは十字架上で窒息死したらしいと書きました。これまで、それが通説だったわけで、私が中学生のときもそう習ったような気がします。ところが調べてみると、他にも有力な説があることに気付きました。
 聖書に、イエスは「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と大声で叫び、息絶えたといいます。福音書によってその記述は異なりますが、かりにこれが事実であるとしたならば、緩慢な窒息死では想像しにくいことです。
 聖書にはまた、兵士がイエスの脇腹を槍で貫くと、血と水が流れ出たとも書かれています。これは胸腔内にすでに大量の血液が溜まり、血球成分と血漿(透明に近い)に分離していた可能性を示しています。ということは、イエスは心臓破裂で亡くなったのではないか、というのです。
 西洋の医師たちは、死んで数時間経った死体の脇腹を刺したりして、さまざまな実験を行なったようです。そうまでして、と思われるかもしれませんが、キリスト教徒にとって、イエスの最期は最も重要な黙想の対象です。実際、それを黙想することによって、手足や脇腹に傷(聖痕)を受ける人びとすらいるくらいなのです。

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13日の金曜日

 今日は「13日の金曜日」。ローマ・カトリックの暦のなかでは、今日がキリスト受難の日である。13日の金曜日だからではない。移動祝日である復活祭が今年はたまたま4月15日に当たり、その二日前である受難の金曜日が13日となったのである。
 およそ二千年前のこの日、この上なく清らかで柔和な一人の青年が十字架に架けられた。直接の死因は、出血多量でも激痛によるショック死でもなく、窒息死であったろうといわれている。両手を釘付けにされた姿勢では、呼吸ができなくなるのである。これが当時、重罪人に課せられた最高刑であった。
 ところが奇妙なことに、この悲しい日は、英語ではGood Friday (良き金曜日)と呼ばれる。イエスが十字架上で人類の罪を償ってくれたからこそ、救いがもたらされた。おかげでわれわれが天国に行くことが可能となった、という意味である。
 一人の神人が巨大な犠牲を払うことで、世界が浄められた。しかしそれでも、われわれ一人ひとりは未だ浄化しきれない業を背負って、歩み続けている。世紀が変わっても、次の千年期が来ても、それは変わらぬ事実であるに違いない

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4月の雪

 十何年か前、4月に入って東京に雪が降ったことがあった。当時私は大学院の博士課程にいて、裏手はグラウンドだった。夜、研究室の窓からは、照明に照らされた一面の桜が見えた。そしてそこに、雪が積もった。
 桜は、色も形も、香りも華やぐ。だが、雪に降られてなお、不平も言わずに咲いていることや、一年待ってわずかな間咲いて散る姿は、何にも増して人の心を捉える。
 今年も、桜に雪が降った。そうして、春が訪れた

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恐怖新聞

 夕方6時、一日の仕事が終わって人びとが安らぎの時間を見いだそうとする頃、事件は起きた。
 インターホンに答えると、「Y新聞でーす。粗品をお持ちしましたー」。女性の声にドアを開けてみて驚いた。目の前に、大男が立っている。「こないだまで取っていただきましたが、入ってなかった日はありませんでしたでしょうかぁ〜?」
 たしかに何日か入らなかった日があったと言うと、「言っていただければよかったのにぃー」と、崩れんばかりの笑顔。お詫びにと洗剤を差し出すので礼を言って受け取り、ドアを閉めようとした。が、男はすかさずドアの隙間に体を入れ、把手をつかんだ。
「何するんだ!」と怒鳴ったのは、男のほう。同じ人物が、男の声と女の声を使い分けていたのだ。形相も、まったく別人になっている。ドアを押したり引いたりしながらの押し問答の末、何とかこの「大魔神」に洗剤を返し、お引き取りいただいた。
“正義の味方”大新聞。彼らもまた、実は、こうした実態を知っているのに違いない。

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メジェゴリエの聖母のメッセージ

1981年6月24日、旧ユーゴスラビア・メジュゴリエ村で、6人の少年少女が不思議な貴婦人を見ました。後に聖母マリアであることが分かるこの貴婦人は、以来、毎日彼らに現れ、20年を経た今もそれは続いています。(小説『最後の奇跡』は、このご出現をモデルにしています)。メジュゴリエから届く聖母のメッセージを、この欄でときどきご紹介します。
『愛するかわいい子供たち!
 今日、わたしは、あなた方を愛と憐れみへと招きます。あなた方の御父が愛をくださるように、互いに愛を与えあいなさい。憐れみ深い人でありなさい。--心から。 善い行ないをしなさい。善いことを行なうのを、長く先延ばしにしないように。ハートから出る一つひとつの憐れみの心が、あなた方をわが子に近づけるのです』
(2001年3月18日、ミリヤナ・ソルドさんに託されたメッセージ。文中、御父とは神のこと、わが子とはイエスのことです)

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地震

 24日の夜、実家から電話があった。突然、
「大丈夫、無事だから心配しないで」と言う。
 私には、何のことやら意味が分からなかった。ずっと外にいて、西日本大地震のことをまったく知らなかったのだ。私が心配しているだろうと心配した両親には、こうして、思い切り肩すかしを食わせることとなった。
福山市は震度5だったそうだが、電子レンジを始め、多くの物が落下、破損した。鏡台も倒れ、父は危うく下敷きになるところだったという。しかし、人的被害がなかったのは不幸中の幸いだった。
 八〇を超える父は、昨年の(鳥取)地震の際にも「長い間生きてきて、こんなのに遭おうとは思いもよらなかった」と言った。それが一年も経たないうちに、これである。何とも言葉の浮かばなかった私は、思わずこう言ってしまった。
「でも、関東や東海にはもっと大きいのがじきに来るんだから」
 慰めにも、何にもなっていなかった。
 皆さまからはお見舞いのメールや電話をたくさんいただきました。ありがとうございました。

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