白い影 2

 前回のエッセーについて早速楽しいお便りが届いていますので、三つほどご紹介します。
〇「直江の死の報せに一旦泣き崩れた倫子は、立ち直るのがちょっと早過ぎなかったか?(直江の子を宿していたことが、それを正当化しているようだが……)」
 というより、私は元々ミスキャストだったように思います。竹内結子って、イメージ的に「元気過ぎ」ないでしょうか?
 --ライトフィールドの社長も、同じご意見のようでした。
〇「そもそも、医者も看護婦も、こんなカッコいい仕事じゃないのに」とのことですが、私にとっては看護婦の別称「白衣の天使」……これがいただけません。
 その実態を知ってしまうと、某テレビ局の「白衣の天使/ 密着24時間」なんて、うそくさくて見れません。
 ふざけん中目黒っ!なに祐天寺!! ってなもんで……
 --うーーん、なかなか厳しいお言葉、痛み入ります。ぼくの知ってる看護婦さんは、だいたい立派な人なんだけどなぁ。
〇 美しい湖を目の前に倫子を抱き寄せる直江の台詞は、「ぼくは、いつでも君と一緒にいる。君のそばにいるから……」
 くぅ〜っ・・・ そんなこと、一度言われてみたいっす。
 --私も一度、言ってみたいっす。

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白い影 1

 ドラマ『白い影』最終回を、二日遅れで見た。
 私はあまりドラマを見ない。これも途中をすっかり抜かした。が、最終回の出来ばえを見てみようと、とにかくビデオに撮っておいた。
 不治の病(多発性骨髄腫)に苦しむ医師・直江(中居正広)は、自らの死期を悟り、もう二度と女(ひと)を愛さないと誓っている。が、その直江の目の前に、看護婦・倫子 (のりこ:竹内結子)が赴任する。氷のように冷たい直江に倫子は反発するが、しかし最終的に、二人は愛し合う仲に。
 最終回は、死期の迫った直江が、倫子を北海道に誘い、二人で雪の支笏湖を見るという設定。美しい湖を目の前に倫子を抱き寄せる直江の台詞は、「ぼくは、いつでも君と一緒にいる。君のそばにいるから……」だが、この言葉の真の意味を倫子は知らない。
 一人残った直江は湖に身を投げ、ドラマは、竹内まりやの切ない歌声とともに終わる。気がつけば泣きながら見ている、美しくも悲しいラスト。
 だけど、私はどうしても気になってしまう。直江の死の報せに一旦泣き崩れた倫子は、立ち直るのがちょっと早過ぎなかったか?(直江の子を宿していたことが、それを正当化しているようだが……)。湖に身を投げて死ぬて死ぬというのも、相当苦しくて醜いものだってこと、みんな知ってる? そもそも、医者も看護婦も、こんなカッコいい仕事じゃないのに……等々。
 ちなみに、私の兄は、かつて田宮二郎が主演した『白い影』や『白い巨塔』を見て医者になろうと思い立った。だが医者になってすぐ、この仕事がドラマのようにはちっともいかないことに気付き、愕然とした。しごく当たり前のことではあるのだが……。

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ジョージ・フェルナンデス

 インドから、衝撃的なニュースが飛び込んできた。武器購入の際の汚職事件にからんで、ジョージ・フェルナンデス国防大臣が辞任したというのである。
 国防省の役人や政治家が、兵器選定にまつわる賄賂を武器商人から受け取る。それは世界中で、日々行なわれていることだ。昨今明らかになりつつある機密費流用疑惑から類推するまでもなく、わが国も例外ではないだろう。まして、あのワイロ大国インドでそうだったとしても、少しもおかしくはない。
 しかしそれでもこのニュースが私にインパクトを与えたのは、他ならぬ、国防大臣の人柄による。ここ数年、インドをふたたび訪ねるようになって以来、私がインドに行ったときも、彼が日本に来たときも、われわれは必ず会っていた。敬虔なクリスチャンでもあるこの人は、会って言葉を交わす度、温かみを増す。聖母出現を題材にした『最後の奇跡』が出来たときには、「あなたがこれを英訳するのと、私が日本語をマスターして読むのと、どちらが先ですかな」などと、彼は冗談を言った。利害関係がなかったからかもしれないが、彼はいつも、気のいい叔父さんか友だちのようだった。つい十日ほど前に会ったときも、その感を深めて別れたばかりだったのだ。
 今回の汚職は、いまのところ側近によるものとされ、その詳細については明らかにされていない。直接の関与がないことを願うが、かりに関与していたとしても、この親しみの気持ちが変わることはないだろう。
 政治や経済の巨大なうねりは、人を特異な状況にさらす。あの特殊な場においては、その人本来の人間性よりも、根底に避け難く横たわる欲望が引きずり出される。富や権力の中枢にいて、ただただ清廉でいることなど、多分、普通の人間にはできないことなのだと、私はつくづく思ってしまうのだ。

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願いはかなえる

 カトリックの友人に、結婚して10年、子宝に恵まれなかった女性がいる(かりに、敬称なしでA子と呼ばせてもらおう)。
 いろいろ病院を回ってもだめで、ほとんどあきらめかけていたA子は、ある日仕事で四谷に行った。四谷駅前のイグナチオ教会は、当時改築されたばかりだった。その聖堂に入り、膝まづいて祈り始めようとしたときに、彼女は突然聞いた。『おまえの願いはかなえる』というイエスの声を。
 二ヶ月後、A子は本当に身籠もり、そこで初めて、私は事の次第を聞かされた。不思議だが、そんなこともあるかもしれない……そう思っていたところ、ほどなくしてふたたび、連絡があった。流産したという報せだった。A子は、受話器の向こうでむせび泣いた。
「こんなときこそ、信仰が試される」とは、よく言われる。しかし私は、そうは言わなかった。
「ぼくだったら、神さまに文句を言うな。あれは何だったんですかって」
「……」
「イエス様に言えないんなら、マリア様に言ったらいい。マリア様なら聞いてくれる」
 彼女が耐えて神を讃美し続けたのか、少しの愚痴を言ったのか……。多分、後者だろうと私は思う。自分なら、そうするだろうからだ。そして普通の人間なら、そうするだろうから。結果……A子はふたたび身籠もり、この2月、華奢な体に似合わぬ大きな女の子を産んだ。
 育児休暇中だといって電話してきたA子は、幸せそうだった。その幸せは、これまでの苦しみや哀しみを、すべて補って余りあるもののように見えた。

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マハーシヴァラトリ

 しばらく海外にいたので、エッセーはお休みしました。
 海外に旅立つ前は、常に大忙しになります。一週間なり二週間なり分の仕事のメドを立ててやらなければならないし、旅行自体の準備もあるし……。その上、今回は2月21日がシヴァラトリで、それが追い打ちをかけました。
 マハーシヴァラトリ(大シヴァ神夜祭)というのは、年に一度、新月の夜に行なわれるシヴァ神の祭りです。一年の間でもっとも生命を静寂に導くこの夜、多くのヒンドゥ寺院では徹夜で神の讃歌を歌います。私も、毎週日曜日にお話をさせてもらっている六本木のサイ・ビルディングというところで、それに参加しました。
 夕方6時に始まったバジャンは翌朝6時まで続きますが、夜9時頃帰ればいいか……というのが当初の考えでした。ところが、皆さんが一心に歌っているのを見ると感動してしまって、結局、朝帰りしてしまいました。おかげで、後でしわ寄せが来たこと来たこと……。まったく、意思が弱いんだからと、考え込んでしまいました。

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灰色の世界

 先週初、口のなかにぽつりとできた白い点。気づいたときには、もう食事に支障をきたす状態になっていました。口内炎には、多分、ケナログが一番効きます。でも、すぐには治らない。約一週間というもの、食べ物が当たっても、歯が触れただけでもしみ、涙が出るような状態でした。
 こうしてときどき分かることは、やはり、何と言おうがわれわれは肉体のなかに生きているということです。どんなに「肉体が人間なのではない」などと頭では思っていても、直径1ミリの口内炎ですっかり意気消沈し、睡眠不足のときには世界が灰色に見える……。きわめて情けないですが、とりあえず、それが現状という感じです。

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最初の誕生日

 寒い日が続きますが、皆さん、いかがお過ごしですか?
 まったく個人的な話で恐縮ですが、42年前の今日、私の母はほとんど死にそうになりながら、私を産みました。産まれてしまったとき、よく言われるように、新しい生命の誕生の歓びで、母はお産の苦しみなど忘れてしまったのでしょうか。実際、それは大したことではなかったのかもしれません。産まれてきた子供のために、その後、苦しむ苦しみの量に比べれば……。
 かつて、抑圧されたユダヤの女は、救い主を自分が産むことを至高の名誉と考え、待ち望んだ時期がありました。そうして数千年が経ったある日、思わぬときに大天使が少女の許に現れ、挨拶をしました。
「祝福された御方、これより後、全世界があなたを幸いな方と呼ぶでしょう」
 しかし先日、ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂入り口で私たちが目にしたのは、十字架から降ろされたばかりのイエスを抱き抱え、嘆き悲しむ聖母の像でした。全世界が幸いな者と呼ぶ、そんな女でさえも、わが子が笞打たれ、手足を十字架に打ちつけられて死んでいく様を、目の前に見なければなりませんでした。
「母」は与える者です。与えて、与え尽くして死んでいきます。それが、女性性の崇高さであるように思われます。
 21世紀に入った最初の誕生日を機に、「大いなる生命と心のたび」の記録だけでなく、生活のなかで考えたたわいもない事どもを、この場に書いてみようと思っています。
 第一回の今日は、ちょっとテーマが堅すぎましたか……。

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第四回 〜パリ・ヌヴェール・ローマ・アッシジ〜 七日目

 旅は終わった……かに見えたが、今回、飛行機はミラノで乗り継ぎ。そこには恐れていたとおり、充分な数の免税店が……。みな、買い忘れたものを補充する。
 飛行機に乗り込んでも、まだ心の興奮が醒めやらない。三々五々集まって、あちこちで旅の思い出に花が咲いている。中には飛行機の末尾に下江さんを連れ出し、酒を酌み交わす剛の者も。いや、よく見ると、彼女の目からは大粒の涙が。優しく魅力的な下江さん、ついに女性を泣かしてしまった。
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ミラノの空港で 思わず食に走る
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空港の待合室で
 毎回、思うこと。それは、旅は結局、同伴者で決まるということである。だがそれにしても、なんというすばらしい同伴者を神さまはお与えになってくれたことか。深い祈りに包まれ、私自身が皆さんから多くを教えられて、感謝のうちに、世紀の変わる旅を終えた。

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第四回 〜パリ・ヌヴェール・ローマ・アッシジ〜 六日目

 午前8時半、一行はついに、サン・ピエトロ・イン・ヴァティカーノ、すなわちサンピエトロ大聖堂の前に立った。21世紀最初の謁見のため、世界中からの巡礼者で広場はみるみる一杯になる。
 午前10時、定刻に、第264代ローマ法王ヨハネ・パウロ二世がお出ましになった。オープンカーに乗って、ゆっくりとサンピエトロ広場を回られる。幸いにして何人かは、最前列でローマ法王を拝礼することができた。その距離、わずかに1メートル。カトリック信者でなくとも、緊張と感動の瞬間だった。
 午後は、まずヴァチカン博物館を見学。ラファエロの『キリストの変容』、ミケランジェロの『最後の審判』『アダムの創造』『楽園追放』等で溜め息。そうして、博物館からサンピエトロ大聖堂に、待ち時間なしで移動することができた。四つ目、ヴァチカンの聖なる扉を通って、大聖年の巡礼を完成。ふと下界を見渡せば、聖なる扉をくぐろうという長いながい市民の行列ができている。その末尾は、どこにあるのか見えない。この日中に全員が入れるかどうかと、事もなげに言うガイド。
 大聖堂は、入ってすぐ右側にミケランジェロの『ピエタ(嘆きの聖母)』像がある。続いて、右足に触れば幸福がやって来るという聖ペトロの青い彫像、そうして主祭壇の下には聖ペトロの墓。その場所に降りていくと、周りには、20年ほど前、在位わずか33日で亡くなったヨハネ・パウロ一世や、第二ヴァチカン公会議を招集したヨハネ二三世、第二次大戦中、ナチスの暴虐を黙認したとして論争の的となったピオ十一世の柩もある。突然、歴史に埋没する瞬間……。
 ヴァチカンを出た後、下江さんの引率で希望者はローマの高級ブティック街へ行き、テルミニ駅内のレストランでイタリアン・バイキングを楽しむ。
(クリックで画像拡大)
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ローマ法王 ヨハネ・パウロ二世
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ローマ法王の居室に通じる階段
(ヴァティカンにて)
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ヴァティカンの小路で
記念撮影

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第四回 〜パリ・ヌヴェール・ローマ・アッシジ〜 五日目

 13世紀初頭、カトリック教会がかつてないほどの世俗的権力に浸っていた時期、一人の男が出家した。着ていたものを両親に返し、文字通りの裸となって修道生活に入ったこの人を、後に、世界中の人びとが宗教を超えて賛嘆することとなる。このアッシジのフランシスコを訪ねるのが、今回の旅の目的の一つである。
 ローマから北東へ 180キロ、アッシジの村へ向かうバスのなかで、フランシスコの生涯を簡単に復習する。1181年(82年ともいわれる)生まれ。20歳で戦争に行って捕虜になるが、その頃から、「今に全世界がぼくの前にひざまづき、祈りを捧げるようになる」と言って周囲を驚かせていたらしい。だが、なぜそうなるのか明確なことは、この時期、本人にもまだ分からなかったに違いない。
 24歳のとき朽ち果てたサンダミアノ教会の十字架像がフランシスコに語りかける。「私の家を再建してほしい」。そうして彼が修道生活に入るや、堕落し切った教会に辟易していた若者たちは競ってその許に集まり、修道会はまたたく間に五千人ほどの大所帯に膨れ上がったといわれる。
 清貧のなかで布教、ハンセン氏病患者の救済などの事業にあたったフランシスコは、晩年、聖痕を受け、その修道衣は血でぐっしょり濡れたといわれる。ほとんど失明し、体も衰弱したが、彼は最後まで神を讃美しつづけて亡くなった。その頃、肉体的にもっとも苦しい時期に詠んだ歌が、有名な『太陽の歌』である。太陽の歌は、後に映画『ブラザーサン・シスタームーン』のなかで、ドノバンにより美しく歌われる。
「神よ、造られたすべてのものによって
  わたしはあなたを讃美します。
 わたしたちの兄弟、太陽によって
  あなたを讃美します。
 太陽は光をもってわたしたちを照らし
  その輝きはあなたの姿を現します。
 わたしたちの姉妹・月と星によって
  あなたを讃美します。
 月と星はあなたのけだかさを受けています。
 わたしたちの兄弟、風によって
  あなたを賛美します。
 風はいのちのあるものを支えます。
 わたしたちの姉妹、水によって
  あなたを賛美します。
 水はわたしたちを清め、力づけます。
 わたしたちの兄弟、火によって
  あなたを賛美します。
 火はわたしたちを暖め、よろこばせます。
 わたしたちの姉妹、母なる大地によって
  賛美します。
 大地は草や木を育て、みのらせます。
 神よ、あなたの愛のためにゆるし合い
  病と苦しみを耐え忍ぶ者によって
   わたしはあなたを賛美します。
 終わりまで安らかに耐え抜く者は
  あなたから永遠の冠を受けます。
 わたしたちの姉妹、体の死によって
  あなたを賛美します。
 この世に生を受けたものは
  この姉妹から逃れることはできません。
 大罪のうちに死ぬ人は不幸な者です。
 神よ、あなたの尊いみ旨を
  果たして死ぬ人は幸いな者です。
 第二の死は、かれを損なうことはありません。
 神よ、造られたすべてのものによって
  わたしは深くへりくだって
   あなたを賛美し、感謝します。」
 中世をそのまま伝えるアッシジの街は、美しい山の中腹にあった。母親は天使の御告げを受け、裕福だったにもかかわらずフランシスコは馬小屋で生まれた。フランシスコを慕い、やはり清貧の徳に生きた聖女クララの創始した修道院、「私の教会を再建しなさい」と語りかけ、生涯の決断をさせた十字架のキリスト、そしてフランシスコを記念して建てられた聖フランシスコ大聖堂等を次々廻る。
 圧巻は、聖堂内のジオットの壁画。有名な「小鳥に説教する聖フランシスコ」を、フランシスコ会の司祭が素朴な口調で解説してくださった。
 壁画の隅には、聖女クララの慎ましやかな姿もある。フランシスコよりも誰よりも、このクララが好きだと言って、なかなかその前を離れようとしない下江さん。「観音様だ……」と言って絶句している。彼はこのクララに再会するため、特別なネクタイをしてきたという。
 ところで、私たちのために聖堂内を案内してくださったこの神父様は、30年間奄美のフランシスコ会にいた後、こちらに赴任なされた由。なんと、今回参加のMさんのお父さまの同級生であられることが判明してしまった。Mさんのお父さまは、この神父様からカトリック要理を教わり、洗礼を受けられたのだ。
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聖人の死後建てられた、
聖フランシスコ教会(アッシジ)
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城門から見た
アッシジ村の風景
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聖フランシスコ教会前の
クリスマス風景
(ただし蝋人形です!)

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