『五輪 9』―4連覇―


日本の男子体操がオリンピックで5連覇を果たした最後の年、
モントリオール・オリンピックのとき、私は高校3年だった。
忘れもしない7月下旬、女子体操の規定演技を何気なく見ていると、
一人の少女がテレビに映し出された。
当時無名であったこの少女は、まるで当然のように完璧な演技を行ない、
それに対してオリンピック体操史上初の10点満点が与えられた。
ナディア・コマネチが世界にデビューした瞬間だった。

彼女は、まさに天才だった。
が、4年後のモスクワ・オリンピックでは、少女から大人びた女性の体型となり、
個人総合で銀メダルに終わっている。
このとき、コマネチが平均台でぐらつくのを初めて見た世界は、
女性らしいふくよかさと現代体操競技における高得点とは、
両立しないということをはっきり見せつけられたのであった。

天才コマネチにも成し得なかったオリンピック2連覇なのに、
それが3連覇となればとてつもなく難しいし、まして4連覇ともなれば、
今大会前まで、個人種目でなし遂げたアスリートは二人しかいなかった。
1956-1968年のアル・オーター(アメリカ、男子円盤投げ)と、
1984-1996年のカール・ルイス(アメリカ、男子走幅跳)である。
あのカール・ルイスも、100mでは2連覇、200mでは1回しか勝っておらず、
4年に一度しかないオリンピックを連覇することがいかに難しいかがよく分る。

今回のオリンピックでは、怪物マイケル・フェルプスが4連覇をなし遂げたが、
次の候補は、女子レスリングの吉田沙保里と伊調馨の二人だ。
……と、数日前、私はこのブログの下書きに書いた。
以下は長いが、そのときの原稿をそのま引用する。

(引用始まり)--------------------------------
ところが日々、バタバタとしている間に伊調馨のほうは4連覇をなし遂げてしまった。
ちなみにレスリングでは、かつて“霊長類最強”と謳われたロシアのアレクサンドル・カレリンが3連覇をなし遂げた後、4回目のオリンピックとなるシドニー大会決勝でまさかの敗退を喫して銀メダルに終わっていることを見ても、個人4連覇がいかに困難であるかがよく分る。
これを乗り越えた伊調馨の才能と精神力には脱帽する他ないが、
ちなみに彼女は、北京オリンピックが終わった後、一度引退を表明している。
そこからカムバックして、ロンドン、リオと勝ったわけだが、
では、もう一人の吉田沙保里のほうはどうか……。

彼女は今回のオリンピックで日本代表チームの主将を引き受けているが、過去、
96年アトランタ五輪の谷口浩美は、男子マラソンで19位、
2000年シドニーの杉浦正則は野球で4位、
04年アテネの井上康生は、柔道男子100キロ級で準々決勝敗退、
08年北京の鈴木桂治は、男子100キロ級で初戦敗退、
12年ロンドンの村上幸史は、陸上・やり投げで予選敗退している。
主将にはどうしても精神的重圧がのしかかるからではないかともいわれているが、
こうしたいわゆる“ジンクス”は、
彼女の精神力をもってすれば何とでもなると私は思う。

すでに書いたように、彼女が現地入りしたのはあまりにも遅く、
しかも時差調整なしの日本からだったので、おそらく体はまだ本当には適応していない。
そのあたりは、一旦アメリカ入りして調整していた伊調馨と対象的だ。
今回のオリンピックも、時差調整をしっかり行なった選手とそうでない選手とでは、
やはり明暗が分かれた。しかしそれも、
「霊長類最強女子」といわれる彼女にしてみれば、杞憂に過ぎないかもしれない。
だが、最後の側面については、私はどうしても一抹の不安を拭うことができないでいる。
それは、なんと言ってよいのか、いわゆる“カルマ”の側面ともいえるだろうか。

話はオリンピックから離れるが、一世代前、ボクシング界で世界最強だったのは、
マイク・タイソンである。
当時、世界中の格闘家で、タイソンに勝てる者は一人もいなかっただろう。
ところが、契約問題でもめ、名コーチであったケビン・ルーニーを一方的に解雇してから、
彼はまるで別人のように弱くなった。そうしてついに、
ふたたびかつての強さを取り戻す日は来なかった。
ケンカと非行、犯罪に明け暮れた少年時代から、一転、
世界王者に輝いたタイソンのファンであった私は、その後、
成功を納めた人がかつて世話になった、
自分を引き上げてくれた人と離れた後どうなっていくかに関心をもつようになった。

長野オリンピック・スピードスケート男子500メートルで感動の金メダルをもたらしてくれた清水宏保は、それまで苦楽をともにしてきた三協精機を退社し、
フリーとして次のオリンピックに万全の準備をしたかに見えた。
しかし結果は、二位に終わった。
トップとの差は、0・03秒だった。
アテネ、北京の男子平泳ぎで2個ずつ金メダルをとった北島康介は、
平井伯昌コーチのもとを去ったロンドン・オリンピックでは、
個人で一個のメダルもとることができなかった。
シドニーで日本女子陸上界初の金メダルをもたらした高橋尚子は、
小出義雄監督のもとを離れた後は、オリンピックに出ることすらなかった。

今回、吉田沙保里は長年世話になったALSOKを離れ、フリーとなっている。
こうしたことは、当事者にしか分からないそれぞれの事情があるだろうし、
本人にとってみればそれなりに合理的な理由があってのことに違いない。
吉田がALSOKでやらされているCMは酷すぎるという言い分ももっともだ。
しかしそれにしても、同じALSOKを離れるにしても、
せめてこの五輪後にすることはできなかったのだろうかと、私は思う。
もしこうしたことのすべてが杞憂であったということであれば、
私のなかで、それは新たな吉田沙保里の伝説となるかもしれない。
(引用終わり)--------------------------------

今回のオリンピックでの銀メダルが決まった後……

吉田はしばらく立てなかった。
「日本選手団の主将として金メダルを取らないといけなかったのに、ごめんなさい」
「たくさんの人に応援してもらったのに銀で終わってしまって申し訳ない」
そうして、大粒の涙を流してこう言った。
「取り返しのつかないことになってしまった」
そのとおり、彼女は“取り返しのつかない”ことをしてくれた。
五輪と世界選手権を合わせて16連覇、
個人戦206連勝、世界女王の座を15年間も守り続けるという、
まさに“取り返しのつかない”ほどの偉業を、彼女はなし遂げたのである。


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『五輪 9』―4連覇― への1件のフィードバック

  1. SHO のコメント:

    オリンピックが先生のブログ記事創作意欲の起爆剤となったようですね。
    連続投稿、読者としては嬉しい限りですが、しかし、これが今後四年分の記事でなければ良いのですが・・・。

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