第四回 〜パリ・ヌヴェール・ローマ・アッシジ〜 四日目

 午前中にローマへ移動。午後はローマの教会巡り。
 25年に一度巡って来る聖年には、ローマの四大聖堂の「聖なる扉」が開かれる。なかでも2000年は、千年に一度の大聖年。そのため、1999年のクリスマスに、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が四つの聖堂の聖なる扉を開けた。これらをくぐって巡礼した者には特別な神の恵みが与えられるといわれているが、これが閉まるまで、あと数日。この日は、四大聖堂のうち、三つを巡ろうという計画である。
 三つ全部は無理だと最初からいうガイドに、それでも行くように強く主張。まずカトリック神学を創始した使徒パウロに捧げられたサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ、次に千年に渡って法王庁が在ったサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ、そして、八月のさなかに聖母が雪を降らせて建立の場を指定したというサンタ・マリア・マッジョーレ。いずれ劣らぬ大伽藍と敬虔な雰囲気に、全員、溜め息の連続。
 そして最後に、われわれは聖アルフォンソ教会を訪ねた。ここに鎮座する『絶えざる御助けの聖マリア』は、15世紀までクレタ島にあり、以後、ご出現になった聖母自身がローマへ移すように言われたため、ここで崇敬されているもの。祈りを捧げた人びとに数々の奇跡を起こしたことで知られている。
 世界中にその複製があるが、今、目の前にあるのはその本物。われわれのため、特別に教会を開けてくださった司祭から説明を受け、そうして、みなそれぞれに用意した聖母への手紙を祭壇の中に収めさせていただいた。
 この日の夕食は、われわれだけ音楽の生演奏付き。ところが、終わり近くになって、部屋が一斉に暗くなった。ロウソクの灯ったケーキが登場して、音楽は突然、“ハッピ・バースデー”に。元旦が、Kさんの誕生日だったのだ。
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絶えざる御助けの聖マリア(中央上)
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キリストを寝かせた飼い葉桶を覗き見る
(サンタ・マリア・マッジョーレ教会で)

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第四回 〜パリ・ヌヴェール・ローマ・アッシジ〜 三日目

 ルルドで聖母と会ったベルナデッタの眠るヌヴェールへ。ここが、当時、持参金なしの貧しい娘を受け入れてくれた唯一の修道院だったのだ。
 前回感動した美しいミサは、今回は朝10時開始とのこと。これに間に合わせようと、バスは朝6時半に出発する。
 8時頃、やっと空が白み始め、カトリックのミサについて説明をする私の後ろから20世紀最後の日の出。皆さん、私の話よりも、美しい朝もやとフランスの田園風景を照らし出す太陽に気をとられている様子。
 ミサ開始5分前に到着すると、前回もお会いしたシスター二宮が、祭壇横に特別席を用意してくれていた。今年最後のミサ。あの美しい歌声の司祭が、ふたたび、「オハヨウゴザイマス」とわれわれを迎えてくれた。
 ミサ後、シスターに院内を案内してもらい、昼食。その後、特別に聖堂を開けていただいて、聖女のご遺体を拝礼。普段は許されていない写真撮影も、許可していただく。
「ここで修道生活を送っていて、毎日が感謝の連続です」
 とおっしゃる通り、シスターは慎ましやかで、表情には歓びが隠せない。
「20世紀最後の日をここでこうして皆さんと過ごせたのは、神様のお恵みでした」
 そう言われるシスターの笑顔に、皆、聖女のご遺体と同じくらい感動して、ヌヴェールを辞する。
 時計が午後4時を指すと、日本は新年。その瞬間、バスの中からは思わず拍手が。これからの八時間は、日本の人たちは21世紀、自分たちはまだ20世紀にいるという、奇妙な時間帯。最寄りの休憩所に止まってもらい、みな日本に電話する。
 この日の夕食は、ホテル内で大晦日の特別バイキング。前菜だけで満腹になる豪華さに驚くが、みな頑張ってスープ、メイン、デザートまでを食べきる。ワイン、その他も飲み放題。ホールでは音楽が始まり、何人かは、その中でしばし踊りを楽しんだ。
 年越しイベントはコンコルド広場で行なわれるが、地下鉄は、パリ市の粋な計らいでタダ。希望者は、下江さんに連れられ、その地下鉄で会場へと向かう。大観覧車と、4000年の歴史を誇るオベリスクがライトアップされ、2001年宇宙の旅のテーマが鳴り響く中でカウントダウン。あと10秒……3、2、1……!!!。21世紀を迎えた瞬間、花火と爆竹、シャンペン、そして、熱い抱擁……。
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今回、特別に
聖女のご遺体の撮影が許された
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聖女ベルナデッタ直筆の手紙
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聖女ベルナデッタの着られた衣服も靴も、
まるで子供用のように小さかった

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第四回 〜パリ・ヌヴェール・ローマ・アッシジ〜 二日目

 この日、最初に訪れるのは、パリ・ノートルダム寺院。聖母マリアに捧げられた大伽藍の壮麗さに、誰もが溜め息。左右に立ち並ぶ聖人聖女らの彫像を見ながら、一番奥にあった二面の大ステンドグラスにふたたび溜め息。思わず、それを模したセロハン入りのカードを買い込む。
 下江さんの案内で、寺院横の両替屋でフランを買う。日本でフランを買って来た人は、レートを見て愕然。米ドル以外の通貨は、現地で買うほうが有利であるとは、私もまったく知らなかった。
 続いて、不思議のメダイを聖母マリアから授かったカトリーヌ・ラブレーを訪ねるのが、この日のメイン。パリはセーヌ川河畔のデパート、モン・マルシェ近くに愛徳姉妹会はある。
 中に入ると、ちょうどミサの最中だった。もしこのミサが終わらなければ、われわれはカトリーヌの遺体を見ることができない。一瞬、不安が心を過るが、ミサは十分で終了。他の教会と違い、ミサ後もほとんどの人が聖堂内に残っているが、何とかカトリーヌ・ラブレーとルイーズ・ド・マリヤックのご遺体、そして、愛徳姉妹会を創始した聖ヴァンサン・ド・ポールの心臓を収めた聖櫃の前までたどり着く。参加者の何人かは、ただならぬ神聖さを感じ取り、はやくも涙……。
 教会の売店には、大小さまざまな「奇跡のメダイ」がおいてある。友人、知人に頼まれていると、多めに購入する人もいるが、すべて教会の収入になるので安心。
 愛徳姉妹会から歩いて数分のところに、パリ・ミッション会がある。数世紀にわたって世界中にキリスト教を広め、多くの殉教者を出してきたこの会の司祭が、30年前、今回ご参加のKさんに日本で洗礼を授けた。全員で表敬訪問するが、もうお一人の参加者の方も、実はこの会の司祭から洗礼を受けていることが分かった。
 かつてここで生活を共にした二人の司祭は日本に渡り、別々の場所、別々の時代に彼らから洗礼を授かった二人の女性が、今、一緒にその修道院を訪れ、祈りを捧げている……。
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愛徳姉妹会に眠る
聖ルイーズ・ド・マリヤックのご遺体
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パリ・ミッション会に
展示されたマリア観音

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第四回 〜パリ・ヌヴェール・ローマ・アッシジ〜 一日目

 海外に発つとき、仕事の整理がつくのはいつも当日の真夜中12時過ぎ。今回もぎりぎりで支度を整え、東京駅に向かう。案の定、車のなかでいくつかの忘れ物に気づく。そのうちの一つは、聖女ベルナデッタの伝記だった。現地では、記憶を頼りにお話しすることを決意する。
 しかし、空港で皆さんにお会いすると、それまでの忙しさや患い事を忘れてしまう。もう一度、ヌヴェールで聖女ベルナデッタにお会いしたいと、前回、ルルドにお出でになった方も何人かおられる。添乗員の下江さんが挨拶にたつと、それだけで、顔見知りの人から笑みがもれる。
 飛行機は成田を飛び立ち、ミラノを経由。早速、立ち並ぶ免税店に心の一部を奪われる、微笑ましい光景も。
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ひょうきんな下江さん(機内で)

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第三回 〜パリ・ルルド・ヌヴェール〜 七日目

夜のフライトがとれたおかげで、丸一日が自由時間に。それぞれ、美術館や教会、はたまたパリ三越へと繰り出して行く。
わたしは、ノートルダム寺院を鑑賞した後、マリア像を探しに出た。困難が予想されたが、最初に入った店で見たマリアとたちまち恋に落ちる。
苦労して彼女を連れ戻り、空港へ。JALに頼み込んで、機内に持ち込ませてもらう。

旅の途中、下江さんがぽつりぽつりと言った。
「実は、今年の4月、大阪の本屋で一冊の本を見つけて買いました。連休中に読んで過ごしたその本が、『最後の奇跡』でした。
家族が敬虔なカトリックだというムッシュー下江。つい、かつて行ったルルドにもう一度行きたいと願ったという。
当時、このツアーはまだ存在していなかった。その後、日程がかたまり、ルルドに行ったことのある添乗員を、という交渉が始まったのだ。
「そういう人は、他に何人かいたんですが、私だけ、予定がぽっかり空いてまして……」
さんざんわれわれを笑わせてくれたヒョーキン添乗員。ここへきて、何と言うことを言い出すのだ、と思う。しかし、これが『最後の奇跡』のツアーと聞いて、 誰よりも驚いたのは彼自身だったという。ちなみに、一行の間でも、このような偶然やご縁がいくつもあったということで、一生の友人ができたと喜んでおられた。
深く、充実した旅。それは、参加した皆さんの祈りのなせるわざだったに違いない。

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楽しい食事。右端が下江さん。

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第三回 〜パリ・ルルド・ヌヴェール〜 六日目

 当初、ダメといい続けた鬼の下江も、ついにKさんの熱意に折れ、ルルド行きの時刻表を繰ることに。しかし翌日には、日本に向けて発って行かねばならない。
「今日中に帰ってくること」それが添乗員としての彼の条件だった。ということは、ルルドにいられるのはわずか二時間。それでもKさん、嬉々として旅立っていく。
 そんなこととはつゆ知らず、一行はベルサイユ宮殿に。贅の限りを尽くした宮殿には、それなりに感動。しかし、今日ルルドに行った人がいると分かって、みな
  「ええーっ!わたしも行きたかった!」。
 それでも、パリの夜はリドのショーで堪能した。人間性の広がりと深みか。
 一方、一人で往復12時間の旅をしてきたKさんは、
「よかった。本当に、この旅にきてよかった」

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ベルサイユ宮殿・鏡の間

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第三回 〜パリ・ルルド・ヌヴェール〜 五日目

 聖女ベルナデッタは、ルルドで聖母の出現を受けた後、遠くヌヴェールの修道院へと旅立っていく。そこが、持参金無しで受け入れてくれた唯一の修道院だった。
 現在、パリから車で三時間のこの場所に、私は一番来てみたかった。
 聖堂に入ると、いきなり祭壇右手に聖女ベルナデッタのご遺体。亡くなって30年後に掘り起こしても、何ら損傷のなかったという奇跡のご遺体が、今、目の前にある。
 ちょうど正午のミサの時間だったので、全員でこれに与る。修道女と巡礼者らによる、あまりに美しい聖歌とミサ。フランス人司祭は、日本人一人ひとりの頭に手を置き、特別な祝福を与えてくれた。何人かの女性は、ミサ後も聖女の遺体の前を離れようとしない。
 この修道院には、なんと日本人のシスターが二人もいて、昼食後、ベルナデッタゆかりの場所に案内してくれる。聖女が最初にくぐった門、話した聖堂、祈りに来た聖母像、亡くなった部屋、遺体が何十年も埋葬されていた小聖堂・・・・・・。
『私は一瞬も、愛さないでは生きられない』
 そう言って死んでいった聖女の息づかいが、感じられる。
「私はもう一度、ルルドに行かなければ日本に帰れない」
 参加者の一人がそう言い出したのは、この日の夜のことだった。

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眠り続ける聖女ベルナデッタ

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第三回 〜パリ・ルルド・ヌヴェール〜 四日目

 ルルドを発つ日の朝、ツアーの中の何人かの人が、6時前に洞窟で祈っていた。水筒やペットボトルに水を詰め、名残を惜しむ。
「もう一日、ルルドにいたい!」との声にもひるまず、鬼の下江は全員をTGVへ押し込む。車内でとった昼食のサンドイッチも、なかなかの美味。だが大き過ぎて、誰も食べきれない。
 ふたたび、パリ。不思議のメダイを聖母マリアから授かったカトリーヌ・ラブレーの愛徳姉妹会を訪ねるのが、この日のメインである。パリの街はセーヌ川左岸のデパート、モン・マルシェ近くに修道院はあった。
 カトリーヌの腐敗しなかった遺体を拝み、全員が祈りに浸る。この修道院も、車椅子の人が多い。メダイによる奇跡を、みな内心期待している。
 すぐ近くには、愛徳姉妹会を創立した聖ヴァンサン・ド・ポールの遺体を収めた教会もあるが、こちらは閑散としていた。聖人として、どちらが偉かったとは甲乙付け難い。が、人気のあるなしは、厳然として存在する。
 その後、われわれはパリの街を一望する丘のサクレ・クール寺院へ。が、周りで開業している画家たちを一回りする間に、一行のうちの二人が行方不明になる。汗みどろの捜索の甲斐あって、三〇分後、下江さんが二人を連れてバスに戻ると、期せずして全員から拍手が。ちょっと恥ずかしそうにするAさんとKさん。恋人同士で参加の彼らには、二人だけの時間が必要だったのか……。
 天候不順のパリは、この日は快晴。「マリア様の恵みだ」とばかりに、下江さん、全員をシャンゼリゼ見学に連れて行くと言い出す。夕食後、地下鉄に乗ってまず出たのはアルマ橋。日本でもさんざん紹介された、ダイアナ元妃最期の場所である。すかさず、品のない冗談を繰り出すムッシュー下江。そうして程なくして、天気は一転、雷雨に見舞われる。目の前にあるはずの凱旋門もほとんど見えなくなるほどの激しい雨に、ムッシュー下江がつぶやく。
「ダイアナさんに祟られたらしい……」
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祈りを捧げる人々。
マリア像の下には
聖女カトリーヌ・ラブレーの
ご遺体が見える。

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第三回 〜パリ・ルルド・ヌヴェール〜 三日目

 午前中、現地のガイドにルルドを案内してもらう。あいにくの雨だが、皆、真剣に耳を傾ける。
 ベルナデッタの家族は極貧の生活をしていて、かつての牢屋の一室に寝起きしていた。聖母出現の後、この家族を経済的に助けようとした人びとがいたが、ベルナデッタはモノもお金も受け取らなかった。
 ベルナデッタの生まれた粉引き小屋や、一家が住んでいた狭い牢の一室で、一同、感慨に浸る。ベルナデッタはその後、読み書きを習うが、直筆の手紙の美しい字に溜め息。ベルナデッタが履いたという木靴の実物に、さわりたくなる。
 午後、いよいよ水浴。この時期の時期、世界中から何万人も巡礼者がいるので、男性は一時間、女性は二時間待ち。しかし中では、ボランティアの人が一人ひとりのために祈りを捧げ、それから水のなかへ。
「ありがたくて、ありがたくて、涙があふれて……」水浴後、何人かの方がこんなことを言った。
「こんなんじゃ、ときどき奇跡が起きるのも無理はない……」これが私の正直な感想。
 夕方は、自由にミサに参加。水を日本に送る手続きをする人も。
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夕刻の大聖堂は
ロウソクの光で埋めつくされる。

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第三回 〜パリ・ルルド・ヌヴェール〜 二日目

 旅の最大の目的地・ルルド。1858年、聖母マリアが14歳の少女ベルナデッタに出現し、泉を湧き出させ、奇跡を顕した地である。以後、 140年以上にわたって、病気の治癒などの奇跡が続いている。
 朝10時発のTGV(フランス版新幹線)に乗り込む前、全員に幕の内弁当が手渡される。これが意外に美味しいと、皆さん満足。
 午後4時、ルルド。私も、参加者の多くも、何十年も来てみたいと思っていた憧れの地。
 
 添乗員の下江さん。40過ぎのこの人、あまりに板についたひょうきんぶりで、すでに一行の心をつかんでいる。夕食後、彼は全員を引き連れ、いよいよ御出現のあった洞窟前へ。世界中からの巡礼者。車椅子の人びと、介添えのボランティア。そして祈り……。
 その前で下江さん、「ええー、洞窟の上の御像のあるところが、マリア様が実際にお出になった場所で……」と大声で言ったところで、周りから「シーッ」という声。巡礼者らのひんしゅくを買う。
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ご出現の洞窟前に並ぶ人々。
右上にマリア像が見える。

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