集合的意識


 日曜の朝、新聞を見て驚いた。「小泉新総裁誕生へ」という大見出しが、一面トップを飾っているではないか。前の日のエッセーで、「結果は予断を許さない」と書いたばかりだった。
 結局、堕落し尽くした自民党にはもう我慢できないという大勢の気持ちが、派閥と業界団体の締めつけ、利益誘導に勝った。その象徴となった小泉新総裁には、おめでとうございますと申し上げる一方で、これからが大変ですねと言うほかはない。
 実際、「改革」などというものは、一朝一夕にはできない。それは、役職が変わっても、制度がいじられても、人びとの意識が変わらなければ政治は変わらないという、単純な理由による。93年に自民党政権が崩壊したとき、政治は変わると思われたが、実際には政権党が変わっただけで政治の本質は変わらなかった。「すべてをひっくり返したいんだよ!」と言って都知事になった青島氏も、都政を変えることはできなかった。変えようがなかった。
 結局、国の命運は政治家が決めることはできない。それは、総体としての国民が決める。国民の意識のありようが決める。それ以上でも、以下でもない。


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