メジュゴリエの聖母のメッセージ

 愛するかわいい子どもたち! 
 わたしはあなた方と共にいます。そして、母の心であなた方みなを祝福します。
 特に、神があふれるほどの恵みをあなた方に与えておられる今日、祈り、わたしを通して神を求めなさい。神はあなた方に大いなる恵みを下さるのです。
 ですから、小さな子どもたちよ、この恩寵のときをよく用いて、わたしのハートにもっと近づきなさい。わたしが、わが子イエスのもとへあなた方を導けるように。
 わたしの呼びかけに応えてくれてありがとう。
(2001年6月25日)
(旧ユーゴスラビアの寒村メジュゴリエに聖母が出現されたのは1881年の6月24日ですから、ちょうど20年間、御出現が続いていることになります。なお、『最後の奇跡』は、メジュゴリエにおける聖母出現をモデルにしています) 

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大木神父3

 修道院には静かな生活があった。おそらく、神父のネパールでの生活とは大違いであろう。
 食事時、話が今後の予定のことになった。神父は、できるだけ早くネパールに戻りたいと言う。もう、そんなに自分は長く生きない。その自分の体をあまり気にし過ぎてもいけない、というのである。
 たしかに聖書にはある。
『生命のために何を飲み、何を食べようかと心配するな。……思い煩ったからとて寿命をただの一尺さえも長くできる者がいようか』(マタイ 6・25)
 だが、私は言った。
「体が健康でないと、仕事の質は必ず落ちます。少しでも体をよくして長生きされることも、先生の務めではないですか」
 かつてでは考えられない生意気発言に、周囲は一瞬、静まり返った。私も内心、しまったと思っていた。
 ところが思わぬことに、横にいた倉光先生が、これに拍手喝采してくれたのだ。
 私にとって、神父は今でも恐ろしい。その彼には、多数決で立ち向かうほかはないのだ。倉光先生の陰に隠れながら。

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大木神父2

 倉光先生の思わぬ事態に、神父が言った。
「それは、私をかいかぶり過ぎています……」
 ところが、神父自身も涙でそれ以上のことが言えない。
 私は、かつて倫理の授業で、神父が次のように言ったことを思い出していた。
「教育においては、ときには体罰も必要だ。私は、必要なときには君たちを殴ってでも矯正する」
 そうして彼は実際に生徒を殴り、あるいは皆の見ている前で生徒の髪を切り落とした。今ならば人権問題として教育委員会から呼び出されたであろうこれらのことも、当時の広島学院では当たり前だった。当たり前だったが、だからといって生徒の苦痛が和らいだわけではない。
 今、鬼のように厳しかったあの神父が泣いている。年月の流れというのはそうしたものなのだろうかと、私は思った。

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大木神父 1

 次の小説の舞台となる広島に取材で行った。ちょうど、ネパールに行っていた大木神父が目の治療のため帰国していたので、ポカラの会の倉光先生と一緒に修道院に泊めていただいた。
 広島には、イエズス会の修練院がある。司祭になるための長い修行期間の最初の二年間を過ごす場所である。神父は、そこの若い修練者の前で講話をした。
 ネパールに行き、一人でポカラに行って障害児の教育を始めようという段まで話が進んだとき、私の隣にいた倉光先生が突然手を挙げて言われた。
「ちょっと……、ちょっとここだけはぼくに言わせてください!」
 びっくりしていると、先生はこう言われた。
「ぼくがポカラを訪ねた時、神父は炊事も洗濯も掃除も、みな自分でやっておられたんです。月2500円出せばお手伝いさんが雇えるのに、そのお金がなくて……」
 そこまで言われたところで、先生は言葉を止めた。嗚咽して、これ以上を続けられなかったのだ。普段快活な倉光先生のそんな姿を見たのは、初めてだった。
(大木神父については、拙著『アガスティアの葉』をご参照ください。ちなみに6月28日(金)午後6時より、上智大学7号館14階会議室で神父の講話があります。ポカラの会の会員の方も、そうでない方も、よろしければおいでください。)

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メジュゴリエの聖母のメッセージ

 1981年からメジュゴリエに出現している聖母の最近のメッセージを、毎月一度、この欄でご紹介しています。
 愛するかわいい子どもたち! この恵みの時、わたしはあなた方を祈りに招きます。
 小さな子どもたちよ、あなた方はたくさん働きますが、神の祝福をいただいていません。聖霊の知恵を求めなさい。聖霊の知恵があなた方を導き、この時の恵みの中に生きることを、あなた方が理解できるように。
 回心しなさい、小さな子どもたちよ。そうして心の沈黙の内にひざまづきなさい。神を存在の中心におきなさい。そうすることによって、神があなた方の人生に絶えず与え続けてくださる美しさを、喜びをもって証できるように。
 わたしの呼びかけに応えてくれてありがとう。(2001年5月25日)

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沖縄の青年 その5

 途中まで車で行き、そこから歩いた山の中には、“気”が充満しているのが私にも感じられた。男性は、雄大な山と渓谷が一望にできる場所に立ち止まると、突然、祝詞をあげ始めた。神社で教えている正式なものではなく、自分の心から自然に出るもののようだ。5分ほどたったとき、山頂から突然、風が吹いてきた。
「ああ、神さまの風だ……。分かりますか?」
 そう言われたが、私には偶然のようにも思えた。が、私の同行者にとって、それはとても偶然などというものではなかったらしい。彼は明らかに、その気を感じ取ったというのである。
 さらに歩いて、われわれは滝壺にたどり着いた。思わず、ズボンの裾をたくし上げて水のなかに入る。
「大自然は、真心ですね……」
 そんなことをつぶやく男性は、自分は霊能者でもなんでもないという。普通の人間であり、普通に大自然の真心が感じられるというのだ。ところが現代、われわれにはその普通のことができないらしい。
 滝壺の水の冷たさに触れながら、今回の沖縄の旅が終わりに近づいたことを、私は感じていた。

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沖縄の青年 その4

 彼は、那覇からはやや遠い、沖縄本島の北に住んでいた。奥様と、5人の子どもさんがおられるという。まず自立すること。そうして子どもをもうけ、普通の、幸せな家庭を営むこと。社会に貢献したり神仏に帰依するのはその後のことだという、素朴な哲学をお持ちのようだった。
 20年近く前、この男性が突然改心したとき、目の前に鴫がいた。鴫は、彼の前を小刻みに飛びながら、滝のある場所まで導いたのだという。そうして、真冬なのに彼は滝に打たれ、別人になって出てきたのだった。土建屋の社長だった彼は、それから酒、煙草、遊び、・ すべてをやめ、今日に至る“修行”が始まったのだという。
 翌日、男性に連れられて、われわれは深山幽谷に分け入った。20年前に彼の前を鳥が先導したように、この日も鳥たちが前を進む。ついでに、行く先々で、われわれは見たこともないような蝶やトンボを見ることができた。同行者が静かに手を差し出すと、蝶はおとなしく、その手の中に収まった。

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沖縄の青年 その3

 男性とは、空港でお会いした。ほとんど、何の荷物も持っていない。こんな軽装で沖縄から富士、そして出雲を回ってきたとは、それだけで驚いてしまった。祈りの旅に、いろんなものは不要なのだという。
 男性は、今は世界の多くの地への巡礼を終え、土方仕事をしながらの祈りの旅に終止符を打とうとしていると言った。
「いつ、お帰りになるのです?」
 こう聞かれて、私も、連れの者も、言葉を失った。これまで延泊、延泊の連続できたのだ。
「もう一日、沖縄にいませんか。私の家の近くに泊まれば、いろんなお話ができます」
 こうして再度、いや三度の延泊が決まった

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沖縄の青年 その2

 思わぬことで滞在を延長していた頃、国連の仕事でチベットに行っていたはずのTさんから携帯に電話が入った。帰国して、いま成田にいるという。この人は、すでにあるパーティーの席で私に会ったことがあると言い、沖縄の男性に近いOさんを紹介してくれた。目標の“聖者”までには、二重、三重の障壁があるらしい。
 話の途中で携帯の電池が切れ、紆余曲折を経ながら最終的に分かったことは、目標の男性は今、沖縄にはおらず、富士に行っているという事実であった。一連の、祈りの旅の一環なのだという。
 ともあれ、われわれはまず、知人の社長さんによって米軍基地の中を案内され、ついで“実家”の首里城を見学させていただいた。沖縄サミットの会場になったというホテルに泊めていただき、翌日は帰京する予定でいた。
 ところがこのとき、ふたたび、Oさんから連絡があった。富士から出雲を回っていた男性が、翌日急に沖縄へ帰るというので、会ってくださいというのである。

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沖縄の青年

 話は前後するが、今回の旅には同行者が一人いて、彼は出発の前々日、沖縄のある男性に会いたいと言い出した。
 この沖縄の男性は、ある時期から土方仕事をして生計を立てながら沖縄の小学校に花の種を配って回った。すさんだ少年たちの心に、ささやかな花を咲かせてほしいという一念からだったという。その後、極貧の生活を続けながら日本国中と世界中で祈りの旅をして回った。
 この人については、名前も住所も知られていない。ただ、彼について書かれた本を、私は以前、ある出版社の社長からいただいていた。
 出発の前日、私はこの出版社に電話をかけ続けた。が、終日、応答はなかった。会社はすでに倒産していたのだ。
 さらに何人かの知人に当たり、沖縄の男性のことを知っていそうな人を一人だけ見つけ出した。だが、その人も仕事で海外に行っているという。
 二日目、思わぬことで滞在を延長していた頃、なんとこの人から携帯に電話が入っていた。

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