久々のエッセーだというのに、恐ろしいことを書かなければなりません。
 実は、僕はこれまでに何人も人を殺したことがあります。警察の差し回したバスに乗れば、もう二度と普通の世界に帰って来ることはできません。そうして、そのことが分かっていながら、僕はバスに乗ったのです。それまで、普通の顔で接してくれていた人びとは、次の瞬間から一変して、罪人を見る目に変わりました。
 僕はいったい何人の人を殺したのでしょうか。その中には、幼い女の子も含まれていたはずです。でも、その誰も彼も、僕は思い出すことができないのです。
「心理学者をつけてください」
 不潔なトイレで出会った看守に、僕は言いました。が、彼は僕をあざ笑うばかりでした。人の心のことなど何も知りはしないのに、したり顔の心理学者や精神科医。普段軽蔑しているこの人びとに、これから僕は頼らねばならない。人生は、これで終わりです。それにしても、人の一生というのは、なんという意外な終わり方をするのでしょう。
 そう思っている間に、目が醒めました。午前1時半でした。恐ろしいことです。熱でうなされていたのです。普段とほんの数度違うというだけで、こんな夢を見て人は目覚めるのです。
 見ている最中、人は人生のすべてをかけて夢を見ますが、醒めてしまえば実体のないものだったことが分かります。そうして、もしかすると死んだ時、私たちは今現実だと思っている人生を、同じようにして振り返るかもしれないのです。

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メジュゴリエの聖母のメッセージ

 しばらくお休みさせていただいてた日記を、メジュゴリエの聖母のメッセージで再開します。
『愛する子供たち!
 今日もまた、心のすべてを捧げて祈るよう、そして互いに愛しあうよう、あなた方を招きます。
 小さな子供たち。あなた方は平和と歓びを証しするために選ばれているのです。もし心に平安がなければ、祈りなさい。そうすれば、平安を得られるでしょう。そしてあなた方と、あなた方の祈りを通して、平和が世界を覆い始めるでしょう。
 ですから、小さな子供たちよ、祈りなさい、祈りなさい、祈りなさい。祈りが人の心に、そして世界に奇跡をもたらすのです。
 わたしはあなた方と共にいます。そして真剣に祈りを生きている一人ひとりのために、神に感謝を捧げます。
 わたしの呼びかけに応えてくれてありがとう。』
(2001年10月25日)

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第五回 〜トゥルーズ・ルルド・パリ・ヌヴェール〜 七日目

 エール・フランスは夜便がとれたので、出発まで一日自由行動。それぞれにプランを練った皆さんは、朝食後、あっという間にいなくなる。そうして夜8時、その日の体験をそれぞれに持ち寄り、話に花が咲いた。
 ヌヴェールに残った四人も無事合流。「おや、お帰りで?」「そう、(修道院入りは)駄目だったのよ」などと言って大笑いした。
 ちなみに、現在書いている小説は前半はドイツが舞台となるため、私はドイツに行かねばならない。パリの空港に着くと、楽しかった一週間が思い出されて、淋しさが胸に迫ってきた。
 思い返せば、旅行があと三週間に迫った頃、「出発の日が来なければいいのに」と書いて来られた人がいた。「楽しい旅って、あっという間ですから」と。
 旅の四日目になって、この方は、「ほら、私の言ったとおりになってきたでしょ。先生、責任取ってよ」と言って笑ったが、なるほど、旅の終わりは必ずやってくるものだ。
 そして、人生の終わりもまた、同じように速やかにやって来るだろう。そのときに、悔いを残さないようにしたい。巡礼の旅は、そのための予行演習のようにも思える。濃縮された、神聖な予行演習のように見える。
 その旅をこんなにも楽しく、充実したものにしてくれた皆様に、心から感謝するほかはない。
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モンマルトルの丘にて
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パリ・大観覧車より
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添乗員は、お馴染み下江さん

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第五回 〜トゥルーズ・ルルド・パリ・ヌヴェール〜 六日目

 壮麗なノートルダム寺院のステンドグラス、パリを一望するモンマルトルの丘に建つサクレ・クール寺院を訪れた後、バスは愛徳姉妹会に向かった。
 ルルドに先立つ1830年、ここの一修練女のもとに聖母マリアが現れる。聖母の指示に従って刻印されたメダイ(メダル)は、予告どおり数々の奇跡を生み出し、『不思議(奇跡)のメダイ』と呼ばれるようになった。ときのパリ大司教やローマ法王も欲しがったというこのメダイは、最初の八年間で一千万個を売り尽くした。
 人びとの関心は、聖堂向かって右側に安置されたカトリーヌ・ラブレーの遺体に向かう。しかし、会の創設者である聖ルイーズ・ド・マリヤックと聖ヴァンサン・ド・ポールもまた、遺体の腐敗をまぬがれた。実際、女子の実践修道会を初めて創設した彼らの功績は、教会史上、計り知れないものがある。マザー・テレサの修道会などもこれに倣ったものなのだ。ルイーズ・ド・マリヤックの遺体は聖堂の左側に、ヴァンサン・ド・ポールは心臓のみが、いずれもカトリーヌの遺体よりも上位に安置されている。
 その後、パリ三越前で解散し、皆さん思い思いにパリを楽しむ。夜はリド観劇とディナーが入っていたが、成田空港で「リドって何?」と言っていたFさんも、妖艶な女性たちの舞いを楽しんだだろうか……。
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聖母を仰ぎ見る
カトリーヌ・ラブレー
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サクレ・クール(聖なるハート)
の寺院にて
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パリを行く怪しい二人……

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第五回 〜トゥルーズ・ルルド・パリ・ヌヴェール〜 五日目

 聖女ベルナデッタは、ご出現の後、ヌヴェールの修道院に入った。そうして、病気と人間関係に苦しみ抜き、13年後に亡くなった。遺体は湿気のある地下に埋葬されたが、30年後、腐敗することなく発掘される。「ああ、イエス様。どんなにあなたをお慕いしていることでしょう……」
 そう言って亡くなったという聖女の唇は、ほんのりと紅をのせられ、今、われわれの目の前にある。
 修道院には、過 去二回、お世話になったシスター二宮の妹さんがおられた。
 過去の参加者をして、「ベルナデッタにも感動したけどシスター二宮にも感動しました」と言わしめた方は、姉妹でヌヴェール会に入っておられたのだ。黙想中だというお姉様に代わり、妹さんの案内で修道院をまわる。あくまで慎ましく、奥ゆかしいお姉様に対し、妹さんのほうは人の心を動かす言葉の力を持っておられる。神はそれぞれに賜物を与えるらしい。
 この日、修道院には四人の方が残り、聖女と一夜を明かす。どうしてもそうしたいというこの善女たちが、神々しくすら見えてくる。「斎藤さんは、今日、この修道院に残られます。これが今生のお別れです」
 そう言うと、バスはシンと静まり返った。しまった! 本気にされたらしい……。
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現在の聖女
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聖女の愛した「水のマリア」
と子供たち
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修道女4人衆と今生の別れ……

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第五回 〜トゥルーズ・ルルド・パリ・ヌヴェール〜 四日目

 ルルドの水・飲み放題というぜいたくは、この日まで。朝6時、ポリ容器を持って水汲みに行くと、洞窟前では早やミサがあげられていた。見ると、われわれの仲間があちこちで参列している。ピレネーの朝は夏でも寒いが、ミサを抜け出す人は一人もいない。
 前日、三班とルルドを廻った私にとって、この日が最初で最後の水浴のチャンスとなる。週末ということもあって、人の数はさらに増えている。男性も2時間待ち。ボランティアにガウン(男性は腰から下)を着せられ、いよいよバスタブへ向かう。一緒に祈りを捧げてもらってから、ドブンと水の中へ。11°Cという水温に息が止まりそうになるが、これで心臓麻痺を起こした人はいないというのが不思議だ。長い行列に不平を言っていたような人も、終わって出て来るときには全員が晴々とした表情に変わっているのが印象的だ。
 ちなみに、水浴の後、ボランティアはマリア像を差し出し、口づけするように言った。私は謹んで足にしたが、後に、皆さんは顔にキスしたと言われるので仰天した。
 午後の出発まで自由行動。皆、さまざまに美しいロザリオ(ルルドの水入り)やマリア像を買い求め、見せあう。
 夕方、パリのホテルで夕食を済ませると、希望者は下江さんに連れられてシャンゼリゼへ。
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聖女の使ったロザリオ
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ご出現の洞窟に
触れようとする人びと
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聖域内の聖母

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第五回 〜トゥルーズ・ルルド・パリ・ヌヴェール〜 三日目

 この日は三班に分かれ、時間差でルルドの歴史的な場所を回る。天気が悪かったらどうしようと思っていると、朝まで降っていた雨は急速に上がった。そのときまで何か言いたそうにしていた下江さん、真っ青な空が現れるや突然、「ハーレルヤ!」。大いにウケる。
 最初に向かったのは、ご出現当時、ベルナデッタの一家が住んでいた“カショー”。日も当たらず、五人で住むにはあまりに狭いこの元牢屋は、牢屋としてすら使われなくなったものだという。
 脇には、子供のころ彼女が祈っていたマリア像や、使っていた生活用品が展示されていた。ベルナデッタの木靴もあったが、これを履くと想像しただけで、足が痛む。当時、革靴は金持ちだけが使っていたらしい。
 午前中、二班にルルドを説明して回った私は、すっかりガイドさん気分となる。次回からはもう、現地のガイドさんなしで、すべて説明できそう。
 午後の班は、すでにルルドの聖地は回ったということで、お城に登る。かつてイスラム教徒がたて籠もり、開城を迫るカトリック軍のカール大帝に抵抗を続けた。が、ついにイスラムの王様は、大帝ではなく聖母に降伏するという条件を呑んで投降。以後、この地の領主は代々、聖母のしもべを自認してきた。そうして千年後、聖母が実際にこの地に現れる。その城からは、ルルドの地とピレネー山嶺を一望にすることができる。
 夕食を思い思いに楽しんだ後、夜はロウソク行列に加わる。天気もよく、大変な数の人出だ。世界中から来た人々の祈りが、一つになる。
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朝のルルド・大バジリカ
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夕刻・ロウソク行列の人びと
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城から見た大聖堂

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第五回 〜トゥルーズ・ルルド・パリ・ヌヴェール〜 二日目

 午前中に巡礼した聖セルナン・バジリカは、フランス屈指のロマネスク聖堂として知られる。だが、この日のハイライトは、何といってもドミニコ会最古の修道院として有名なジャコバン修道院。あの聖トマス・アクィナスが、祈りのなかで、壮大な神学を生み出した場所だ。その思索は、千数百年になんなんとするキリスト教神学の集大成『神学大全』として実を結んだ。
 神学者としての名声をほしいままにしたトマスは、しかし晩年、ミサをあげている際中に“神を見る”。そうして後、『大全』の執筆をぷつりとやめ、ふたたび筆をとることはなかった。継続を促す周囲には、こう語ったといわれている。
「私の見たものに比べれば、この神学はわら屑のようだ」
 昼食後、バスはいよいよルルドへ。しかし残念ながら、ルルドは厚い雨雲に覆われていた。
「(添乗員の)下江さん、何とかして!」の声に、下江さん、思わず「アーメン」とつぶやく。そのお陰かどうかは分からないが、夕方のロウソク行列の前に雨は上がった。比較的人出は少なかったが、お陰で何人かの方は、ルルドのマリア像に直接触らせていただくという幸運に恵まれた。
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若き日の聖トマス・アクィナス
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聖人の墓/ジャコバン修道院

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第五回 〜トゥルーズ・ルルド・パリ・ヌヴェール〜 一日目

 前夜11時、この日のうちに終わるかと思われた準備のさなか、一つのことを思いついた。バス移動の際、車内で音楽を流したらどうだろう……。
 添乗員の下江さんは成田のホテルにいるはず。携帯で呼びだし、それが可能なことを確認する。それからCDを抱えて事務所へ向かった。SECOMの操作を間違え、CDの録音操作を電話で聞きなどし、諸々の準備を終えると朝の5時だった。
 7時半、事務所の人が満面の笑顔で迎えに来た。こちらは寝不足……。それでも空港に着き、馴染みの皆さんの顔を見ると、「よかった……」とひと息つく。
 眠っている間に、パリ、シャルル・ド・ゴール空港に着く。待ち時間で早速、話に花が咲いた。その後、飛行機は南フランスに向けてふたたび出発。レンガ造りの建物の建ち並ぶ「バラ色の街」トゥールーズへ。
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機内にて
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パリの空港でおしゃべり

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「アガスティアの葉」文庫化

『アガスティアの葉』の文庫化のための作業が終わった。
 親本が出たのは94年であるから、もう7年前になる。その後、思わぬことで成就した(してしまった)予言の数々について思えば、内容そのものについては、今さらながら驚くほかない。しかし、7年ぶりに読み返してみると、文章のつたない表現のほうにもっと驚く。
 ダラムサラで出会った女性(エリーナ)との別れのシーンなどを読み返しながら、(こ、こんなことをまともに書いちゃったのか……)
 と私は思った。それに対し、編集長は自信満々で言った。
「作家の先生は、皆さんそうなのです。昔、自分が書いたものを見て愕然とし、そこから不死鳥のように蘇ってくるのです」
 何が不死鳥だ……。そう思う私の表情を彼はちらとうかがうと、こう続けた。
「でも、人って、本人が思ってるほどには気にしてないですからね」
 そうして、いかにも愉快そうな笑みを浮かべたのだった。
(株)ライトフィールドより:
 文庫版『アガスティアの葉』(幻冬舎)は、最終章-新たな展開と考察-が付け加えられ、8月5日に出版されます。

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