誕生日5


人生も中盤を過ぎると、
まるで人の足元を見透かすかのように、
ときはますます大胆に経過していく。
ぼやぼやしている間に1年、また1年と過ぎていくのであるから、
当初、大きな違いと感じられた1年、2年、まして数カ月など、
実に、誤差の範囲内であったことに早晩気づくこととなる。
この時期誰もが、自分のやりたいこと、やらねばならないと思うことを、
いまだ成し得ないでいるという感覚を、多かれ少なかれ持っているに違いない。
自分はそうではない、常に充実感と達成感に満ち満ちた人生だという人がいたら、
彼は幸福な人だ。
そういうわけだから、華やかで美しい年の暮れも、
人は多かれ少なかれ焦燥感を感じて過ごすこととなる。
クリスマスや大晦日を一人で過ごすなどということは、
よほど内省的な人でないかぎり避けたいものだろうが、
昨年末、聖サバリ山から帰ってすぐ、
私もまたそうした事態に陥ったのであった。
これをなんとかやり過ごすには仕事をする他に方法はなく、
大晦日も夜の11時59分まで仕事をして少しだけ癒された私は、
(つきあわせてしまったスタッフには申し訳なかったが)これに味をしめ、
今回の誕生日も同様にして過ごそうと考えたのであった。
そもそも、「年」が代わっただけで多少のショックを受けているのに……


1月が慌ただしく過ぎ去っていくのをみながら、ショックは倍加する。
それが癒される間もなく、われわれ「早生まれ」は誕生日を迎え、
「歳」まで加わるのだ。
51歳最後の日を精一杯仕事をして過ごすことが、
「とき」という巨大な横暴に対抗する、せめてもの方法であろうかと考えた。


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