追想2


自由民主党・第十五代総裁であった宮澤は、
その後、政治改革で目立った成果を上げることができず、
内閣不信任案を可決され、解散・総選挙に打ってでた。
が、結果は惨敗。
過半数を割り、下野することになる。
宮澤が、徳川十五代将軍になぞらえられる所以である。
だが、続いてできた連立与党は、
当初国民に期待されたような立派なものにはなり得ず、
「自民党より酷い」とまで一部では言われながら、
結局政権はふたたび自民党に戻ることとなった。
98年、小渕政権で、宮澤はふたたび蔵相に就任する。
するとマスコミは一転……


歴代財務責任者の無策を非難したのである。
こうして、かつて内閣総理大臣であった宮澤が、
蔵相として最初にしなければならなかった仕事は、
長きにわたってバブル崩壊後の経済を建て直すことができなかったことへの
謝罪であった。
あのとき、自分が言うように公的資金を投入させてくれていればと、
断腸の思いであったろう。


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