大木神父2


 倉光先生の思わぬ事態に、神父が言った。
「それは、私をかいかぶり過ぎています……」
 ところが、神父自身も涙でそれ以上のことが言えない。
 私は、かつて倫理の授業で、神父が次のように言ったことを思い出していた。
「教育においては、ときには体罰も必要だ。私は、必要なときには君たちを殴ってでも矯正する」
 そうして彼は実際に生徒を殴り、あるいは皆の見ている前で生徒の髪を切り落とした。今ならば人権問題として教育委員会から呼び出されたであろうこれらのことも、当時の広島学院では当たり前だった。当たり前だったが、だからといって生徒の苦痛が和らいだわけではない。
 今、鬼のように厳しかったあの神父が泣いている。年月の流れというのはそうしたものなのだろうかと、私は思った。


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