私の系譜 3


大正6年を西暦に直すと1917年に当たることに気づいたのは、
つい最近のことだ。
ファティマにご出現になった聖母マリアのことを今までどんなに解説しようと、
それが、父の生まれた年のこと、という感覚は皆無だった。
この年の5月13日、ポルトガルの寒村で、
3人の牧童が光輝く貴婦人を見た。
彼女は、これから毎月13日にこの同じ場所に来てくれるよう子供たちに望み、
そこからファティマのさまざまな奇跡が始まっていく。
その二度目のご出現の少し前、
広島県福山市の山あいの村に父は生まれた。
6人兄弟の末っ子で、生来、賢いと言われた少年は、
当時名門といわれた広島・修道中学に進学したが、
家は貧しかったので、充分な仕送りもなかったし、
大学進学など当然、夢物語だった。
当時の父にとっての、より現実的な夢は……


祭りなどのときに売られる紅白饅頭を食べることだったという。
しかし、50銭とか、1円というその代金が払えず、夢は叶わなかった。
何の因果か、後に私も同じく広島の私立中学の寮に入り、
やはりいつもお腹をすかせることになる。


カテゴリー: 人生 パーマリンク

コメントを残す