日食 2


日食の時間帯を迎える。
たとえそれが一回の人生の間に一度か二度のことであっても、
数分から数時間で終わることであったとしても、
太古の時代、コンピュータによる計算が予めできなかったとき、
人びとはこれに驚き、不吉の前兆と感じたことだろう。
昨夜は日食について、
ヴェーダの教えるやや形式的な側面をブログに書いた。
それをお読みになった皆さんからは、
早くもさまざまにありがたいお返事をいただいている。
過去、天皇は日食時に御簾にお籠もりになったとか、
精神性を探求する人は見ないとか、
聖者ヴィヴェーカーナンダも部屋にこもられた等々、
それぞれ興味深い。
会社のスタッフからも、
本日の業務は10時スタートにしますとの報告があり、
日食が終わる9時まではそれぞれが自宅待機ということかと思ったら、
これを決めたのは昨日のブログ以前であり、要するに、
セミナーとプージャの後片づけで疲れたから、という理由のようである。
いつもご苦労さま……。
昨夜のブログの内容は、ヴェーダの、したがって聖者たちの見解であるが、
これを読んでそのように過ごされる方も、
読まないで日食を楽しまれる方も、
読んだけれども、せっかくだから少しだけ見てみようという方も、
そんなことには頓着することなく日常の仕事に就かれる方も、
さまざまおられると思う。
私自身、おそらくは今生最後の機会、
ちょっとだけ見てみたいな、という気持ちも心のどこかにある。
どのようにされるのもいいと思う。
人生を生き生き楽しんでいただきたいと、いつも思う。
いずれにしても、大切なのは……


常に、われわれ自身の内面であり、
それぞれのダルマ(使命や責任)を心のどこかにおきながら、
しかし日々を淡々と生きていくことであることに変わりはない。
そんなことを改めて考えさせる特異日でもある。


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