縁(番外) 


通夜・告別式の日、若くて可愛らしい二人の女性をみかけたが、
それがY家のご令嬢であった。
『理性のゆらぎ』が出た前後、
まだ4歳か5歳であったEちゃんの笑顔があんまり可愛いので、
私の友人までもがとろとろに溶けていたのを想いだす。
私がよく冗談で、
「先生は結婚しないで、Eちゃんが大きくなるのを待ってるからね」
などと言うと、父親であるYさんはそれを笑いながら聞いているのだった。
そのEさんがいまや美しい女性に成長され、大学院に通っておられるのだが、
父親から、この娘には恋人がいないと聞いて、
思わずホッとするこの気持ちは一体なんなのか……。
次女のAさんのほうは、告別式の翌日が大学受験なのだといわれた。
なんと、上智大学神学部を受けられるという。
キリスト教が好きで、聖地ルルドなどにも行きたいと……。
実は当時、なかなか次のお子さんができないでいたY家に、
私がインドからさる神秘の薬を持ち帰り、
それを一粒呑んだYさんにできたのが、今のこのAさんだった。
こうして“Aちゃんは私がつくった”などと仲間うちで公言していたのだが、
その子を、私自身は長く知らなかった。
私がアメリカにいたとき、Y家が遊びにきてくれたことがあったが、
そのときには彼女は存在しなかったのだ。
あれから18年が経ち、彼女もまた美しく、立派になられた。
将来、一緒に……


ルルドやインドを巡礼することもあるかもしれないなどと、
勝手な妄想を膨らます。
そして、父親に劣らず、家族や、地域や、国家のために貢献されるような、
そんな人間になられるだろう。
こうしてその遺伝子は引き継がれ、新しい日本、新しい世界が創世されていき、
その頃には使い古した肉体をおいたまま、
われわれが、この世を去っていくことになるに違いない。


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