堀井学

 現在の日本スポーツ界の話題は、阪神の意外な快進撃と来るサッカーのワールド・カップ。せわしない日々の喧騒のなかで、今年冬に行なわれた冬季五輪はすでに忘れられ、あんなに日本中が熱狂した長野五輪を思い出す者はいない。
 そんななか、一人の選手が引退していった。
 天才スケーターとして早くから注目された堀井学は、実際、リレハンメルでは銅メダルをとっている。さらに、世界新記録を樹立して迎えた長野。金メダル候補の筆頭に、誰もが堀井を挙げた。
 が、ここに一つの偶然が作用する。五輪直前になって、スラップスケートが登場したのだった。スラップを履きこなした選手が次々と世界記録を更新するなか、堀井は最後までその採用を躊躇した。
 結果、長野は惨敗。会見のとき、こらえきれずに堀井の目から滲み出た涙は、清水の金メダルやジャンプ陣の活躍よりも僕には印象的だった。
 四年後、ふたたび五輪で負け、堀井は昨日、引退した。万感の思いがあったろう。「会見後、一時代を築いたスケーターの目から、あふれるものが止まらなくなった」と新聞は報じた。

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財政破綻

「いまや、わが国の財政は、破綻の危機に瀕している……」
 先日再放送されたNHKの番組から聞こえてきたナレーションである。聞き慣れた言葉ではあるが、同時に語られた次の言葉のほうに、僕は愕然とする。
「国の借金、国債発行残高82兆円……」
 おや、と思われるに違いない。この番組が最初に放映されたのは、今から20年前、土光臨調の頃なのだ。
 今となっては、たったの82兆円だった……と言いたくなってくる。それでも当時、国家財政は破綻の危機に瀕していると言われていた。ところが、その後も国債の発行残高は増え続け、現在は414兆円。予算の1/3は利払いに消える。それもまた国債の発行でまかなわれ、雪だるま式に金利が膨らむ。
 今後も、国債は発行され続けるだろう。そうする他はないのだ。そうして行き着く先は……、ハイパーインフレだという説がある。インフレにして、国の借金を目減りさせる。しかしそれは同時に、国民全体が貧しくなることをも意味している。
 そうならないための「構造改革」。それは決して人ごとではないのだが……。

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高校教師 4

 僕が高校の先生になりたかろうがそうでなかろうが、そんなことは相手には関係のない話だった。しかし、とにかく続けるしかない。
「昔から……、国語の問題……、苦手でした。英語や数学なら、答えがはっきり決まってるのに、国語ときたら漠然としていて決まらないんですから……」
 すると彼女は、妖しい笑みを洩らして言ったのだ。
「国語の問題も、答えははっきり決まっています」
「……」
 ショックだった。そうだったのか……。読む人が読めば、あれって答えは決まってるのか……。だが、ここで引くわけにはいかなかった。
「それが、ある作家の方が、作品を高校の問題に使われたそうです。でも、自分で解こうとしても解けなかった……」
「そうですか。それは、生徒が聞けば力づけられます。で……、その作家の方ってどなたですか?」
 そう言われて、ハタと困った。とりあえず、その作家とは自分のことなのだ。一瞬ひるみつつも、僕は言った。
「その方の名刺を持ってますから、差し上げましょう」
 僕が自分の名刺を出すと、しかし、彼女は意外な反応に出たのだった。
「ああ、青山さん。知ってますよ。よく話題に出ます」
(……)
 何と言って切り返していいのか、分からなかった。果して、彼女の言っていることは本当なのか。だって、本人が目の前にいるのに、全然気づいてないじゃないか!
 横浜が近づき、彼女は席を立とうとしていた。最後のわずかな時間に、僕は、ちょっと悪戯心を起こして言った。
「ここにメールなさったら、あの方、返信されると思いますよ」
 本当にメールが来たら、困ってしまう……。言ってしまってからそう思った。が、案の定メールは来なくて、ちょっとホッとしているところである。

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高校教師 3

 仕事で横浜に行く用事があり、東海道線に乗っていたら、4人がけの席の前に女性が乗ってこられた。50がらみと思われるが、人生の年輪が表情に表れて品のある方だ。ふと気づくと、取り出されたものは「総合問題詳解うんぬん……」。採点した生徒の答案をチェックしているようだった。
 今、目の前に憧れの「高校教師」がいる。そして科目は……国語だった。
 高校で国語を教えるというのが、どんな気分がするものなのか、一度当事者から聞いてみたかった。が、こんなとき、普通日本人は話しかけるということをしない。アメリカでは簡単にそれは行なわれるが……。
 彼女は品川から乗ってきて、どこまで行くかは分からない。いずれにしても、あまり時間がない。
(マリア様、力をお与えください……)
 ついにマリア様を引っ張りだしたとき、ふと、彼女と目があった(ように思った)。その瞬間、僕は口を開いていた。
「あの……、大変失礼なんですが、もしかして高校の先生でらっしゃいますか?」
 相手は微かな笑みを浮かべている。が、明らかに困惑もしている。そうだろう。こんなふうにして話しかけてくる人なんて、普通いない。
 それでも僕は続けた。いや、続ける他なかったのだ。
「実は僕、昔から高校で国語を教えたくって……」

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高校教師 2

 高校教師……。それは憧れの職業だったが、いったい僕が何を教えるのか。一番面白いのは、多分国語だろうと思う。物理や数学を教えるより、国語や社会を教えるほうが面白いに決まっている。だが、社会のほうは知識がないので、ボツ。もちろん、古文や漢文もだめ。自分では読めないのだから。
 結局、残るのは現代国語となる。心に残る文芸作品を、生徒と心を一つにして読めたらどんなにいいか……。
 とはいえ、現実は厳しい。この現代国語こそ、僕が高校時代、もっとも苦手とした科目だったのだ。忘れもしない最初の全国模試、高校一年のときに高校二年のを受けさせられた。そのときにとったのが、数学100点、英語98点、国語64点。この点数は今も忘れない。一生、忘れることはないだろう。何しろ、64点なのだ。
 その後、さまざまな努力のかいもなく、国語で点がとれるようには、ついにならなかった。出題者の問うていることの意味が分からなかったり、どう答えていいかが分からないのだ。
 今、新聞などに共通一次の問題が出たりするが、まともに解いてみようという気にはなれない。ショックを受けるに決まっているからだ。

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高校教師 1

 昔、高校教師というドラマがあった。優しくてかっこいい真田広之(高校教師)と、ちょっとわがままそうな桜井幸子(もちろん生徒!)が繰り広げるドラマで、アンニュイな雰囲気のテーマソングと相まって大いにうけた。
 特に、赤い糸で互いの小指を結び、列車のなかで心中する最終回は、高視聴率をあげたという。最後の場面で普通の車掌が二人を見つけ、しかし死んでいることに気づかずに通りすぎるのであるが、あの車掌役の俳優さんは、その後どうしておられるだろうか。
 昔から、高校の先生になったら、どんなに楽しいだろうと夢見ることがあった。高校で教えて、午後5時になったら自宅に戻り、夜は宗教書や哲学書を読んで過ごす。そうしてまた、翌日には生徒に教え、5時になったら下校して……。そんな生活をたんたんたんと送れたら幸せだろう……などと想像したのである。
 高校の先生には高校の先生で、いろんな現実の苦労があるに違いないのだ。それでも、今も、同じようなことを夢想する。

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ラクシュミ 4

 それにしても、ラクシュミのまぶたはきれいに切れていた。誰も触らないのにどのようにしてこんなところが……。ありそうにない傷を見ながら、僕は一つのことを思い出していた。
 小学校の頃、僕はまぶたを切ったことがあった。五年生の春の運動会、棒上旗奪いの練習のとき、友だちのひじが当たったのだ。が、切れたのは、二重まぶたの間。なんと、右の二重まぶたの間がスパッと切れたのだ。(おかげで、僕のまぶたは三重になった!)そのとき、傷を見た大人たちは、これでよく眼がつぶれなかったと不思議がった。両親も、学校の先生たちも。
 ふたたび、ラクシュミ女神をよく見てみた。ちょうど同じ位置が切れている。
 ……彼女が昔、僕を守ってくれたとでもいうのか。一年間プッタパルティで僕を待ってくれて、そのことを教えてくれたのか。むろん、真相など分かろうはずもないことだが。

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ラクシュミ 3

 日本に帰ってラクシュミ女神像の封を解くのは、心ときめく作業だった。見るからに美しい。彫りも完璧。自宅に置くにはもったいない。そこで、富の女神ということもあり、事務所に置いてもらうことにした。
 ライトフィールドに置いて二週間が過ぎた頃、ラクシュミはどうしているかと思って見に行ったところ、仰天した。なんと、右のまぶたがスッパリ切れているではないか。いったいどうしたというのか……。
 事務所中がちょっとした騒ぎとなった。皆、自分の責任ではないことを、それとなく主張する。とにかく、落ちたまぶたの破片を求めて部屋中を探すことになったが、見つからない。掃除機のゴミ袋を見てみようと言いだす律儀な女子事務員がいて、それを開け、数人でゴミをより分けたが、やはりみつからなかった。
 その代り、ゴミのなかから真珠(イミテーション?)をより分けた者がいたのには驚いた。富の女神が、皆の真心に感じて出してくれたのか……。

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ラクシュミ 2

 買って帰った二体のうち、サラスワティは自宅に置き、クリシュナは「アージュの美」に置いた。自由ヶ丘でアーユルヴェーダのオイル・トリートメントを行なっているこのお店は、当時新装したばかりで、クリシュナ像はその雰囲気にピッタリはまった。お客さまの評判も上々のようで、このクリシュナは今もお店にある。
 ところで今回のインド旅行でも、僕はいつも行く神像ショップに行った。
 店に入るなり、僕の目を引いた白檀があった。あのラクシュミである。まさかと思ったが、やはり一年前に買わなかったものだった。だが、この店で同じものが一年も売れないなどということがあるのだろうか。いいものが、見る間に売れていく店なのに。
 オヤジに聞くと、彼も不思議そうに言った。
「この一年は、決していい年ではなかったのですが、それにしても……」
 それにしても、この逸品が一年も売れないでいたのはほとんど奇跡的である。
 僕は迷わず、これを買うことにした。ラクシュミが、一年も僕を待っていてくれたのだ。

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ラクシュミ 1

 インドに行ってきた。
 ところで、プッタパルティに行くと必ず訪れる店がある。そこは、本当にいいものしか置いていない。従って高いし、値引きもしない。が、信頼がおけるのでいつも最後にはそこで買うことになってしまう。
 昨年の3月に行ったとき、僕の目を引いたのは、白檀の神像であった。クリシュナ、ラクシュミ、サラスワティの三体セット。セットではないのだろうが、明らかに同一の作者による三体は、他に抜きんでて美しかった。が、例によって思い切り値が張った。
 当然のことながら、高い買い物ほど慎重にならざるを得ない。そう思って三体をまじままじまじと見つめていると、一体だけ違いがある。富の女神ラクシュミだけが、ややほっそりとしているのだ。本当に、ほんのわずかであるが……。そこで熟慮の末、クリシュナとサラスワティの二体を買うことにし、ラクシュミだけを僕は置いて行った。

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