第六回 〜ルルド・ファティマ・リスボン〜 二日目

やむを得ず用意してきた“禁断の”クスリを用いる。これを喉に流すと、二時間ほどは少し咳を抑えることができる。エフェドリン様物質が、気管支を拡張してくれるのだ。が、その同じ物質が体にはすこぶる負担になって、下痢したり眠れなくなったりする。だから、多くは使えない。
昨日は飲むタイミング を誤ったために、リムジンバスのなかで苦しんだ。だから、今日は聖地巡礼の直前に飲む。説明をする時間はおおむね二時間。その間、喉がもってくれればいい。
全体を二班に分け、聖女ベルナデッタゆかりの地を見て回る。それと今年は、メダイ・センターにも寄った。パリでご出現になった聖母のメダイがおいてある。聖女カトリーヌ・ラブレーの映画も日本語で上映されているというので、多くの人が後でここを訪れ、メダイを購入した。このメダイを胸につけ、「汚れなくして宿りたまいし聖マリア、われらために祈りたまえ」と祈るとき、必ずその祈りは聞かれていると、聖母自身が言われたのだ。
何とか午前、午後の説明を終え、足は自然と水浴場に向かう。とても入れないかと思ったら、ボランティアの人が中に入れてくれた。何か、去年見たことのある人のような気がする。向こうも、覚えてくれていたのだろうか……。
日本からお預かりしてきた皆さんからの手紙の束は、この日のうちに聖母宛てのポストに入れることができ、ホッとする。
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第六回 〜ルルド・ファティマ・リスボン〜 一日目

ルルドの旅は、毎年本当に待ち遠しい。が、今回は困ったことが起きた。直前になって、声が出なくなってしまったのだ(エッセー欄6月27日)。無理に話そうとすると、激しく咳き込む。この日が待ち遠しかった……が、まだ来てほしくはなかった。旅行の前にこれほど複雑な気持ちになったことはない。
考えられることは、すべて試した。抗生物質、消炎剤、漢方薬、その他、消炎作用があるといわれる生薬、気功、星状神経節ブロック(喉に注射を打つ)……。でも駄目だった。仕方がない。一年か二年に一度、こうして咳が出るようになったら、一カ月は何をしても無理なのだから。
空港で、馴染みの顔、顔に出会う。そのご家族の皆さんや、過去に参加なさって今回は見送りに来てくれた方もいる。つい話をしてしまうが、少しでも喉を温存しなければならないのがもどかしい。
旅行会社には、事情を説明して小型マイクを用意してもらった。空港の待合室で、まるで運動会みたいだ。だが、いざ挨拶に立つと、やはり駄目だった。咳が突き上げてきて、わずかな話ができない。「ルルドに着いたら……治りますから……、心配……なさらないでください……」唸るようにしてこう言ったものの、それは奇跡を願うに等しいことだった。
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大ピンチ!

 あと数日後にはルルドにいるというのに、今だにタイの余韻が去らない。
 思えば、夢のようだった。礼儀正しくて温かい人びと。報道の人間ですら、彼らは人の写真を撮ったら、いちいち頭を下げていた。仏教の、深い宗教性。これについては、また、あらためて書きたい。そして、言うまでもなく、美しい民族衣装に美味しいタイ料理……。
 ところが、その夢のようなタイから帰ってくると、全然声が出なくなっていた。あのインディアンのオジサンのお陰でスピーチを終えてから、出なくなったのだ。そうして今は、咳が止まらない。
 出発まであと3日。果たしてこのまま、咳は止まらないのか。あの奇跡の泉に浸かり、湧き水を飲みながら、僕はゴホゴホ言いながら皆さんと話すのか。そうして依然、30日の朝までに、やるべき仕事は片づくのか……。

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聖母への手紙

 ルルド・ファティマの旅まであと一週間。毎年の一番楽しみな行事になった。6月30日が近づくのが待ち遠しい。……が、同時に怖い。日本を発つまでにやっておかねばならない事が多すぎるのだ。果して間に合うのか……。
 すでに旅行で親しくなった皆さんの顔が目に浮かぶ。30日の朝、空港でこの人たちに会い、出発すれば、その日のうちにルルドに入る。翌日の午前には、あの思い出の洞窟に皆さんをお連れする。百数十年前、少女ベルナデッタが聖母を見た洞窟だ。
 実は、泉が湧いたそこには、一つの箱が備えつけてあって、そこには手紙を入れることができる。聖母マリアに読んでいただく手紙である。
 もちろん、彼女は、われわれがどこで何を祈っても、聞いておられるに違いない。しかしそれでも、聖母に直接手紙を読んでほしい方がおられたらお持ちしたいと思う。6月29日までに着くよう、下記まで送ってください。
〒158-0083
世田谷区奥沢 5-41-12-5F   
株式会社ライトフィールド
Tel:03-3722-9090, Fax:03-3722-9091
e-mail: info@lightfield.co.jp
http://www.lightfield.co.jp/aoyama/

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国連宗教者会議 5

 三日間、スピーチと通訳でおおわらわだった会議が終了し、帰国の途についた。飛行機に乗ってから、この三日間に起きてきたさまざまに印象的なことが頭を駆けめぐる。ほとんどゆっくり寝る間もなかったが、昨夜はすべてが終わった後、少しだけバンコクの中心街に出かけた。昔、タイでお坊さんをしていたという日本人の青年が、連れ出してくれたのだ
 バンコクの買い物天国パッポンには、タイシルク、ブランド物の時計、バッグ、衣類、サングラス(ブランド物はすべて偽物)等々、小さな屋台のようなお店が無数に並ぶ。実際に買うのは、言い値の1/3くらいか。思い切り下の値段を提示して、折り合わなければやめればいい。すると向こうは、他の店で買われるのならと、その値段を承知してくる。しかしそれでも、彼らには十分な利益があるはずだ。
 屋台街のところどころに、半裸の女の子たちが躍っているクラブがあり、酒で顔を赤らめ、デレッと目を垂らした日本人のオジサンがそこここにたむろしている。ここでもう一歩踏み込んでこのオジサンたちと同じ悦楽を貪り、虚しさも感じてみなければ、本当に人間性を映すような作品は書けないのだろうか……と一瞬、思う。
 偽ブランドを売り、値切り、春を売り買いし、ここには巨大な生命力の躍動がある。宗教者会議の高邁な理想は、残念ながらこの人びとの躍動感に、エネルギーとして及ばない。この欲望の坩堝を超えるだけの圧倒的な精神性を備えるのは簡単なことではなく、それは理屈をこねているようなところからは到底生まれない……などと、元お坊さんと話し合う。
 国連が準備してくれた高級ホテルの周辺にも、セクシーな衣装で並んで座る女の子たちがいた。お店の名前は日本語で書いてある。そのうちの一組の一組の女の子たちにことわって、写真を撮らせてもらった。そうして、デジカメに映し出された自分たちの姿を見て、彼女らは何のくったくもなく笑ったのだった。

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国連宗教者会議 4

 この日、ふたたび声は出なくなっていた。隣の人との会話もまともにはできない。それでも、あのインディアンのおじさんを見つけて、僕はなんとか言った。
「おかげさまで昨日だけ、声が出たのです。ありがとうございました」
 するとおじさんは、まるで当然であるかのような顔をして言った。
「私、日本ニ行ッタコト、アリマス」
 今度はいつ日本に来られるのですかと言うと、何と彼は、
「明日デス」
 と答えた。そして、こちらが驚いているのを楽しむようにして、
「明日、トランジットデ成田ニヨリマス」
 と付け加えた。
 この日、もう一つ嬉しいことがあった。タイ人が、なんだかやたらと「日本人?」と尋ねてくる。そうだと答えると、彼は言った。
「日本カッタ……」
「……?」
「日本カッタ、ナカッタ!」
「おおっ!」
 その瞬間、思わず両手で握手し合った。
 偉い人びとが難しい理屈をこねるよりも、何かの価値観(たとえそれがスポーツであれ)を共有することのほうが、意外と世界を調和に導くのではないかと感じた一瞬だった。

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国連宗教者会議 3

 昨夜は夜遅くまでいろいろな打ち合わせをして、結局、寝たのは夜中の1時だった。が、この日は朝5時に目が醒める。声はどうか……。出そうな気がするが、声は実際にその場で出してみるまで分からない。
 国連ビルに着き、午前のセッションが始まる。何人かのお偉いさんのスピーチの後、まず日本代表団の喜納昌吉さんが「花」を歌い、それからマイクを任された。
 僕はまず、喜納さんが沖縄の、そして僕自身が広島の出身であることを語った。この前の戦争では、父や祖父の世代の1/3とか2/3の人びとが亡くなった。
 宗教であれ、政治であれ、われわれの願いは世界が調和に満たされることだが、それはまず、われわれの心のなかから始める他はない。現象として現われ出た戦争は、個々人の心のなかのささやかな不調和が自然の法則を犯し、その集積された罪科が自然界の包容力を超えたときに起こるものだからだ。
 平和は政治や、政治運動によってもたらされるものではあり得ない。それはまず、われわれの意識のうちに構築される。その結果が「平和」である--。
 ふと気づいてみると、声がよく出ている。はたして、昨日のインディアンの祈りが効いたのか……。

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国連宗教者会議 2

 タイ人の親切は有名である。会場に到着すると、無数の男女の小学生たちが各国の旗を振って沿道を埋め、目を合わせるとお辞儀をしてくれる。そして「ニーハオ!」中国人だと思われているらしい。しばらくして日本人と分かり、「コニチワ」。各国の挨拶をすべて覚えているのか……。
 それにしても困った。風邪がこじれ、声がほとんど出なくなってきている。二日目の午前にはスピーチをしなければならないのだ。どうしようと思っていたとき、アメリカインディアンの先住民代表がスピーチに立った。
「私は、今回、皆さん全員のために三つの贈り物を用意しました。それは祈りと儀式を通じてなされるもので、一つは白い布を使って目の浄化を行ないます。もう一つは鳥の羽を使って耳の浄化、そして水を使って喉の浄化を行ないます」
 彼によれば、翌日の日の出とともに、この儀式の効力が現われ、われわれの目と耳と喉が浄化されるのだという。
 多分に政治的で、ときに自己顕示欲すら感じさせる宗教界の大御所らのスピーチのなかで、この方のそれは素朴で力強かった。しかしもちろん、明日、僕の声が出るのかどうかはまったく予断を許さない。

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国連宗教者会議 1

 国連主催の「宗教者、精神指導者による世界平和サミット」というのがあるので出てほしいと、なぜか言われた。二年前にニューヨークの国連本部で行なわれた「宗教者、精神指導者によるミレニアム世界平和サミット」に続いて、今回はタイで行なわれるという。
 宗教者とか精神指導者とかあまり関係のない話だと思っていたが、運営委員長を兼ねるインドの財界人は、会えば話題の尽きない人。熱心に誘ってくださるので、行くことにした。
 ところが、出発の二日前になって熱発。体が動かない。スケジュールが詰んでくると、こういうことが起きるのだ。果して行けるのかと心配したが、何とか熱を下げて成田を飛び立った。

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秋田の聖母マリア

 久々に秋田に行った。涙を流した聖母像のある聖体奉仕会に、新聖堂が完成したのである。
 会場には、何台もの大型バスを含むたくさんの車と人。日本中から、500〜600人の信徒が集まったという。記念ミサは、15名の司祭と新潟教区の司教(司祭の上位に位置する聖職者)とによる共同司式であった。
 ミサのなかで、佐藤司教は次のように語った。
「私はこれまで、秋田の聖母出現について、公式には何も触れてきませんでした。本日、この機会に申し上げます。ご出現を公認された前任者の決定を、私はいささかも変更するものではありません」
 1975年から81年にかけて、この場所にある聖母像が涙を流し、一人のシスターにメッセージを与えた(詳しくは、『最後の奇跡』169ページ以降を参照してください)。この、いわゆる秋田の聖母出現について、その後激しい議論がわき起こり、多くの人びとが傷ついたのだった。
 関係者の証言や資料を総合すると、当時の主任司祭はかなり激しい性格の方であったように見える。論争や戦いは、あるいは、ユダヤ・キリスト教の伝統が反映されたものでもあるのだろうか。しかしそのことにより、聖母のメッセージを直接聞いた当のシスターや周辺のシスター方の苦しみは幾千倍にも増幅され、それはいまだに続いている。
 だが、すべては摂理のうちなのかもしれない。今、多くの人びとの望みがかなって、秋田の聖母巡礼地に相応しい、純和風の聖堂が完成した。そこには、日本の仏師の手による木彫りの聖母像が、ただ静かにたたずんでおられる。
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涙を流される聖母像
1979.7.28撮影
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新聖堂正面
(秋田市添川湯沢台一 聖体奉仕会)

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