“不治の病” 1

 知的で、美しく、奥ゆかしくて、明るい、そんな人に出会うことが一生の間には稀にある。そうして不思議なことに、そういう人にかぎって、若くして病に冒される。
 数年前のある朝、彼女はふと、いつも昇っている階段を昇りづらいと感じている自分に気づいた。しばらくして病院に行くが、医師はただちに原因をつかむことはできなかった。病名がALS筋萎縮性側索硬化症ルー・ゲーリック病ともいわれ、ホーキング博士の病としても知られる)であると診断されたときには、それから二年近くも経っていた。
 今、彼女は病床にある。二年前には電話で話し、手紙を書くことができた。少しよくなったら、ルルドの水に浸かりに行きましょうと言って笑った。が、今はもうそれができない。ボランティアの学生に、手紙を代筆してもらう。メールも打ってもらう。電話をかけることもできない。
 そんな彼女を見舞うことを、僕は正直、恐れていた。
 彼女の表情には、かつてのような輝きはあるのだろうか。その目は、かつてのように知的なのか。今も明るく、人を包み込むような温かさを持っているのか。そんなあれこれを思うと、そもそも彼女自身が、見舞いに来られることを本当に望んでいるかどうか、自信が持てなかったのだ。

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聖女アマチ 2

 10月13日のエッセーに書いた講演の件ですが、まことに残念なことに、主催者側の都合により延期となりました。そのためにご都合を繰り合わせようとしてくれた方がおられたことを思うと、まことに申し訳ないですが、ご了承ください。お詫びいたします。

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聖女アマチ 1

 今年の5月、現代南インドの聖女といわれるアマチが何度目かの来日をした。
 友人に誘われて行った僕は、幸運にも聖女と話す機会を得た。
「スピリチュアルで、真に人の役にたつ本を書きたいのですが……」
 これが、僕の質問だった。それに対して彼女は、僕の下顎に親しげに手を触れながら言った。
「どんな本を書いてるの?」
「最初の核兵器製造にまつわる、ある兄弟の数奇な物語。それから、『マハーバーラタ』の小説化も……」
 アマチは笑って言った。
「瞑想よ。書こうとすることに瞑想すること。それが何より大事だわ」
 それは、当り前といえば当たり前のことかもしれない。書く内容に深く沈潜しないでどうやってよいものが書けるだろう。そしてその最高の方法は、瞑想に違いないのだ。
 ところがこのとき、アマチが付け加えて言ったことがあった。その内容を記すことができないので、前項よりもさらに長い間、僕はこのことを書かずにいた。とにかく、このとき彼女が口にしたことは、彼女が真の聖女であろうことを感じさせるものだった。僕は、アマチに魅せられた。
 
 ところで今回、日本におけるMA(アマチの)センターよりお招きを受け、ヴェーダと、特に占星学に関して短いお話をすることになりました。その後、MAセンターに来日中の本物のインド占星術師がヴェーダの真髄についてじっくり話してくれます。11月10日(日)午後、場所は決まり次第ご紹介します。得難い機会だと思われるので、真摯な探究心をお持ちの方に、是非お出でいただければと思います。

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無花果(イチジク)

 昔、広島の西のはずれの丘の上にあるカトリック系の学校に、僕は通っていた。当時、そこには学校と寮と修道院があって、他にはほとんど何もなかった。
 寮に住んでいた僕は、ときどき古江の山を下り、買い物に出るのが楽しみだった。その途中には畑があり、道端には無花果の木が植えられていた。実のなる季節には、カトリック校に通う生徒らも、これを失敬していただくこともあった。
 それとほぼ同じ時代を広島で過ごした人がいた。芸術の才能に秀でた彼女は、しかしその道には進まず、普通の結婚をした。
 その人が、久々に古江の無花果を手に入れたと言って訪ねてきてくれた。飛行機で広島からやってきた彼女は、無花果と花束を手にしていた。それを僕に渡すと、すぐまた、彼女は飛行機で帰るという。僕は驚いて言った。
「君、せっかく来てくれたんだから、ちょっと上がって行ったら……」
 ところが、彼女は首を横に振った。特にこれから行くところもないので、空港に戻るという。
 同じことを僕は三度提案したが、彼女は心を変えなかった。
「とってもお忙しいんでしょ。分かってるんです」
 そう言って笑顔を残し、彼女は本当に、そのまま帰ってしまったのだった。
 実は、以上は9月に起きたことである。心動かされた僕がこれをエッセーに書くと言ったら、彼女が載せないでくれと言うものだから、しばらく自重していた。が、月も変わり、この度、時効が成立したのである。

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聖者の世界 10

 夜便のあるエール・フランスならこの日一日が使えるのだが、それのないアリタリアは朝から出発。ミラノを経由して日本に向かう。
 ピオ神父の膨大な予習から解放されて、かねてより読まなければならなかった文学作品を読もうとするが、瞼が自然に閉じていく。
 思えばこの一週間、感動の連続で、あまり眠っていなかった。睡眠と引き換えに、巡礼の目的は達した。そう思うとさらに眠気がやってきて、僕は日本へのほとんどの時間を眠って過ごしたのだった。

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聖者の世界 9

 ローマに滞在したのは街の中心にあるウェスティン・エクセルシオール。中曾根さんも泊まったというこのホテルは、歩いて数分のところに有名ブランド店の建ち並ぶヴェネト通りやスペイン広場がある。そこで、同行者の何人かは、この日は買い物。そういうお金のない僕は、この日も引き続き教会巡り。
 この日、どうしても行きたかったのは聖十字架教会。イエスを磔にしたといわれる木と釘を見ることができる。本物かどうかは検証のしようもないが、本物と信じられているというだけで十分だ。
 さらに、イエズス会の創立者イグナチオ・ロヨラの遺体と、彼の同志であったフランシスコ・ザビエルの聖腕のあるジェズ教会、洗者ヨハネの頭骨のある聖シルベスター教会、シエナの大聖女カタリナの遺体と「聖トマス・アクィナスの勝利」のあるサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ、願いをかなえてくれる聖なる幼子のいるサンタ・マリア・アラコエラ等を午前中で廻った。これはいつか、『大いなる生命と心のたび』で来る他ないコースだと、単純に思う。
 夜。ローマ市街が見渡せるホテル・ハスラーの展望レストラン。夕暮れから一番星が輝き、徐々にライトアップされていくサン・ピエトロ大聖堂とローマ市街を眼下に納めながら、つかの間の贅沢を楽しむ。

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聖者の世界 8

 ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂を始めとする、いわゆる四大聖堂を回る。かつて、2001年の元旦にローマにやってきた『大いなる生命と心のたび』一行が、25年に一度だけ開く聖なる扉をくぐった場所である。次にこれらが開かれるのは、今から23年後。そのとき、現在のローマ法王はもちろん、この世にいないだろう。
 今回の日本人ガイドさんは、たまたまカトリックの信者さんだった。聞けば、なんとサン・ジョバンニ・ロトンドに巡礼したばかりだという。8月3日にあの大天使ミカエルの洞窟に行き、4日にサン・ジョバンニ・ロトンドにいた。つまり、われわれと同じ巡礼のスケジュールだったのだ。
 さすがにカトリック教徒だけあって、各聖堂の説明が詳しい。今は固く閉ざされている聖なる扉を見ながら、今から23年前には何をしていたかを思い出してみた。あの頃、僕は東京に出てきたばかりの学生だった。人生の何たるかも知らず、ただ右往左往するばかりであった(今もそうだが……)。
 あれから今までがあっという間であったことを考えると、次の23年はさらに速やかに流れ、聖なる扉が開かれるに違いない。そして、そうこうしている間に、今回の人生もまた速やかに流れ去るに違いない。

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聖者の世界 7

 唯一の観光の日。ポンペイとナポリに行く。
 かつて、大噴火をしてポンペイの街を覆い尽くしたヴェスビオス火山。一瞬にして灰に呑まれ、そのまま死んだ人の遺体が陳列されている。実物であるという白骨がなまなましい。
 これから、世界がそのようなことにならないという保証はどこにもない。むしろ、天変地異は近づいているというふうにも思える。世界中の異常気象は、その前触れに過ぎないような気がするのだが……。
 そうは言っても、ナポリはカメオの街。クリントン夫人御用達のジョバンニ・アパに入パに入ると、職人さんがカメオを彫る芸術的な姿を見学できる。そうしてつい、僕はカメオを買ってしまうのだ。

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聖者の世界 6

 この日は、いよいよサン・ジョバンニ・ロトンドの巡礼。ガイドに連れられて聖地に足を踏み入れるが、とりあえずは土産物屋が目立つ。その点はどこの聖地も同じだ。
 生前の神父の遺品などが展示されている教会には、運よくすんなり入ることができた。長いときは、教会に入るのに1時間、2時間と列をなすのだという。今はバカンスのシーズンなので、イタリア人もあまり巡礼には来ないのだそうだ。
 ピオ神父の使った布。洗濯しても、血がとりきれない。かつては、この聖なる布を密かに持ち出し、小さく切って売った商売人たちがいたという。
 大きな壁一面に納められた無数の手紙は、たった一年の間に神父が受け取ったものである。神父は手足の激痛に耐えながら、これに返事を書き、ときには本人の知らないことや忘れていることを指摘した。
 その貴重な手紙のすべてを、法王庁は、あるとき焼却処分にするよう命令を下す。ピオ神父の現象を、悪魔憑きだとしたのである。理不尽な命令にカプチン会は黙々と従い、こうして膨大な量の手紙が失われた。
 その代り、ではないが、現在も、われわれは神父に手紙を出すことができる。日本から持ってきた何通かの手紙を、僕はここのポストに入れた。

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聖者の世界 5

 ピオ神父がその生涯の半世紀を過ごしたサン・ジョバンニ・ロトンドに向けて、バスは出発した。が、その途中で、われわれは二つの聖地に寄ることにした。一つは、ランチャーノ。かつて八世紀、この地の司祭が、聖変化されたキリストの体(聖体:『最後の奇跡』87ページをご参照ください)が本当にキリストの体かどうかを疑った。その瞬間、ペラペラのウェハースは血のしたたる肉となり、仰天した司祭はその前にひれ伏したという。この肉は銀の容器に納められ、千数百年を経た今も腐敗していない。
 近年の分析によれば、これが人間の肉であること、心筋と心内膜、神経組織を含むこと、血液型はAB型であること等が判明した。ただ、なぜこの肉が腐敗しないのかについては謎のままだ。
 この肉片を管理するフランシスコ会の修道士は、われわれに、特によく見える裏面から観察することを許してくれた。ごく近くで見ると、たしかに肉片が生々しい。
 奇跡の聖体を見たわれわれは、次に聖なる天使の山を訪れる。聖体の奇跡よりもさらに前の時代、四世紀に大天使聖ミカエルがこの山に降り立ち、啓示を与えた。現在では洞窟の中に天使の像が立ち、ローマ法王もこの地を巡礼している。
 そのような説明をバスの中でさんざんしたのに、いざバスが現地に着くと、添乗員の下江さんは言った。「では、トイレ休憩を15分ほどとって、出発しま〜す」
 彼はこの場所のことをまったく知らなかったようだ。現地の人に聞いてなんとか洞窟にたどり着いたが、中は聞きしにまさる聖地。神聖な雰囲気が充満して息が止まりそうになる。逆に、下江さんは恥じ入ることしきり。

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