山形への旅 6

 結婚の司式は、イエズス・マリアの聖心会のピアス・ムレン神父。滋味溢れる笑顔と端正としかいいようのない日本語が、式の趣をますます高めた。いい、ますますいい……。
 しかし言っておくが、カトリック教会で行なわれる結婚式が、すべてこうなるわけではない。まことに味気ない、砂を噛むようなミサを行なう司祭も大勢いる。やはり今日の新郎新婦は、聖母に護られているのか……。
 式は進んで、互いを夫婦とする誓い。「順境のときも、逆境のときも、健康なときも病気のときも、互いに愛しあい、忠実を守り……」
 それから指輪を交換し、新郎は新婦のヴェールをあげた。そうして(まさか……)の思いをよそに、その唇に口づけた。
 僕は気を失い、倒れそうになるのを何とか踏ん張って、和服姿で列席の親族らを見やった。純正日本人のこの人たちにとって、おそらく初めて見る、人前でのキスではなかろうか。しかもそれは自分の子であり、孫であり、甥や姪なのだ……。
021110

二人を結びつけたマリア様
(山形カトリック教会)

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山形への旅 5

 式の当日、東京は秋晴れだった。向こうは大雪? 信じられない……。
 ところが、福島を出て米沢の辺りにさしかかったとき、雪に覆われた山々の風景が飛び込んできた。今シーズン、初めて見る雪。思わず、降りしきる雪のなか、山形駅を降りていく自分の姿を想像して嬉しくなってしまった。東京に住むわれわれにとっては、やはり雪は嬉しいのだ。
 だがしかし、それなのに、実際に山形駅に降り立った僕を待っていたのは雪ではなく、雨だった。ちょっと、話が違わないか……。
 山形カトリック教会は、こじんまりとした日本的建築だった。ちょうど、新聖堂落成前の、秋田のマリア様の聖堂を思い出す。それでも、十字架と祭壇、隣のマリア像、聖堂周りの「十字架の道行」は、まぎれもないカトリック教会である。そこに、伝統的な和服姿の親族が集まって来、互いに挨拶を交わす。
(ああ、いい……)心の中で、そうつぶやいていた。
 その気持ちは、新婦入場でクライマックスに達した。
 真っ白なウェディングドレスに身を包んだ新婦が、父親に付き添われ、入場する。彼女とその家族の、これまでの人生が凝縮されたその短い時間に、思わず涙が出てしまう。何か、ずっと前から知っている人のような気がしてくる……

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山形への旅 4

 式の前日、メールが届いた。
「明日、山形は大雪だそうです。新幹線は着きますでしょうか。どうか、お祈りください」
 東京から山形までは、三時間弱かかる。午前中の式に出席するには、自宅を朝6時ころ出なければならない。かりに、何かの加減で目覚まし時計が鳴らなければ、式には間に合わない。5分……という電話に30分つきあっても、アウトである。が、それは許されない。すでに、式の間に唱えられる「共同祈願」の一つを、僕は請け負ってしまっていたのだ。
 本当は福島の友人宅に前泊する予定だった。ところがこの人は、直前に口腔外科手術を受け、それどころではなくなってしまっていた。では、山形に前泊すればよかったか……。しかしそれは、スケジュール的に無理だった。
 彼は、「お祈りください」と書いてきた。しかし、新幹線が遅れたり止まったりすることを、心の力でどうこうできるのか。ユリ・ゲラーならともかく……。
 この人のように信心深くはない僕は、出発前に祈らなかった。新幹線に遅れそうだったのだ。

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山形への旅 3

 7月3日、車一台がやっと通れるような細道を歩いていた彼の脇を、すうっと車が通りすぎ、そのナンバーが3711だった。まったく予期していなかったので、鳥肌が立った。やはりこの女性が、自分の伴侶になる人なんだ……。自然に涙が浮かんできて、この日、彼は一日、平静を取り戻せなかった。僕がルルドで手紙を出した、翌々日のことである。
 翌日、もうマリア様からサインが出たと思っていた彼は、ナンバーにはまったく注意していなかった。が、ふたたび、彼はドキリとした。たまたま昼食に寄ったお店の駐車場に、「3711」が止まっている……。
 さらに翌日、彼は仕事で、本当は行かないはずのエリアにいた。その地域は他の人が回る予定だったのだが、都合で急遽、彼が回ることになったのである。そうして三たび、同じナンバーの車を見ることになる。それはなんと、前々日に見た、まさにその同じ車であった。
 このとき、彼の心のなかで、この三日間の出来事の意味が完結した。「そういうことなんだよ」と、言われたような気がしたのである。こうして彼らは、晴れて結ばれることになった。
 手紙の主は、山形市内に一つだけあるカトリック教会を、式の会場に選んだと書いてある。僕は一晩考えた後に、返事を書いた。
「式に参列させていただきたいのですが……」

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山形への旅 2

 最近、一通の手紙が届いた。「この夏、ルルドに手紙を持って行っていただきましたが、願いをかなえていただきましたので、御礼申し上げます」というものだった。
 その内容には、少なからず驚かされた。
 手紙には、「今おつきあいしている人が自分の生涯の伴侶なのかどうか、はっきり分かるようにお示しください」と書いたのだという。そして、その場合にはきっと、自分の生年月日のナンバーの車を目撃することになるだろうと、なぜか彼は感じていた。
 彼が生まれたのは37年1月1日。四桁の数字だから、3711が出る確率はおおむね一万分の一である。ちなみに僕なら、たとえば年を省いて0212だろうが、そんなナンバーの車を見た覚えは一度もない。
 願いをかけた彼自身、バックナンバーを注意して見ていることはしていなかった。実際、僕がいつその手紙をマリア様に出すかも知らなかったはずである。……が、そうして何気なくしていたところ、彼はそのナンバーの車を見た。

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山形への旅 1

 このところ毎年行っているルルドに、「Petition」という箱がある。それは、何も知らない、愚鈍と言われた少女ベルナデッタが聖母マリアを目撃し、後に奇跡の水の湧き出る泉を掻き出した、まさに歴史的な場所に置かれている。Petitionは、嘆願、または嘆願書とでも訳せるだろうか。
 われわれの心の願いを、聖母はいつもご存じであるに違いない。しかし、まさに聖母が現われたその場所に手紙をお出しして聞いていただくのも、すこぶる人間的でいいと思い、手紙をお持ちしますとこの欄で書いたのだった(6月22日)。
 わずかな期間に、たくさんの手紙が届いた。それらを、僕は間違わないよう一カ所に集めておき、一つの袋に入れてルルドに持って行った。
 初日、成田からパリ、ポーを経由してルルドに着いたのは夜中だった。聖域は夜間は立ち入ることができないので、手紙は翌日、この箱に入れた。すべての手紙を入れたとき、僕は旅の目的の三分の一を達したかのような喜びを感じたのだった。

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ガネーシャ神と聖母マリア 3

 果して、四時のバジャンには間に合うのか? 
 そう思っていろいろ逆算し、この時間には家を出ようとしたそのとき、電話があった。
「ちょっと、五分だけいい?」
 電話の主は、敬虔なカトリック信者のK氏。篤い聖母信心で知られ、特にマリア様について話だそうものなら決して五分では終わらない。しかしこの日、彼は普段にもましておごそかな調子で話し始めた。
「実は奇跡があって……」
 彼によると、昨日、さる徳の高い神父様が東京においでになったので、ミサにあずかったのだという。ミサのクライマックスである聖変化のとき、司祭は薄いウェハースのパンを高々と掲げ、これをイエスの体に変える(とカトリックでは信じられている:『最後の奇跡』87ページ)。
 このとき、白いパンのなかに金色の光が現われた。その光は、さまざまに形を変えてしばらく留まった。見たのは自分だけではなかった。自分自身は半信半疑でいたところ、ミサが終わってから、少なくとも4人の人が、その光が聖母マリアの形になったと、控えめに、しかし確信をもって話し出したというのである。
「それ、いつ頃のことなの?」
 僕は、何日くらい前のことかを知りたいと思った。すると、彼の答えは、「三時半から四時の間」。
「日付けとしては?」
「昨日です。昨日の、三時半から四時くらい」
 それはちょうど、聖天様の前でマリア様に想いを馳せていた時間である。そのとき、東京の東と西で、聖母がわれわれに同時に心をかけてくださったのだろうか……。そんなことを、僕は勝手に思ったのだった。

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ガネーシャ神と聖母マリア 2

 ガネーシャ神にお祈りをした日の夜、思いがけない電話があった。
「ねぇねぇ、明日のバジャンの会で、一曲歌って欲しいんだけど……」
 僕は月に2、3回、麻布にあるサイビルというところで、サイババの帰依者の皆さんにお話をする。日曜の午後四時から五時までがバジャンで、それが終わってから十五分から二十分くらい。だが、明日はバジャンの歌い手が少ないので、歌ってくれと……。もうしばらく、バジャンは歌っていないのに……。
 ところが、彼女が続けて言うことに僕はちょっと驚いた。
「ガネーシャ・バジャンを歌って欲しいんですけど……」
 今日、ガネーシャのお寺にお参りしたのを、この人は知らない。知っていようはずがない。すると、彼女の後ろに控えていた何人かが、突然ガネーシャ・バジャンを歌い出した。
「聞こえるでしょ? この歌、歌って欲しいんですけど……」
 もう、まるまる一年も歌っていないガネーシャ・バジャンを、この日に歌えとは……。僕は思わず「はい」と言ってしまっていた。

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ガネーシャ神と聖母マリア 1

 東京・浅草の待乳山というところに、すでに千数百年もガネーシャ神が祀られている。日本名を聖天様、または歓喜天といわれる。
 午前中、ふとしたことで、この神さまにお願い事をしに行かなければと思い始めた僕は、最近お参りに行ったという友人数人に次々と電話して、場所を確かめた。
 浅草寺で名高いエリアの、北にはずれたところに、ひっそりと聖天様はおられた。堂内に入るとき、時計を見ると三時であった。祭壇前にはダイコンとお花が何本も供えられ、聖天様をお喜ばせするのだという。その前で、何人かのご婦人が敬虔な祈りを捧げ、ロウソクを買って火を灯していた。
 なんでも、この聖天様、未曾有の霊力を兼ね備えながら乱暴者であらせられたのを、十一面観音様が“更生”させ、今では人びとの救済功徳のために尽力しておられるという。
 ガネーシャ神をも教化したという十一面観音菩薩を祭壇正面に見ながら、僕はふと思った。この観音様、もしかしたら日本の切支丹が長く心を寄せたマリア観音と同じ方ではなかろうかと……。そう思って、お寺のお堂でありながら「天使祝詞」を小声で唱える。こうしてお堂を出るとき、時計を見ると、四時二分前であった。

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“不治の病” 2

 さまざまな思いが重なり、僕はしばらく見舞いに行けずにいた。
 だが、その彼女に久しぶりに会って、すべてが杞憂であったことを知った。
 彼女は相変わらず知的で、このような未曾有の逆境にあっても落ち着き払い、明るかった。彼女は、やはり美しかった。
 だが考えてみれば、それは当たり前のことなのだ。彼女の美しさは、もともと内面から出たものではなかったか。人の外見は変わるだろう。彼女の場合、もともとスリムな体から、さらに体重が30%減った。治療のため、髪も短くした。しかし、そうであっても、内面から滲み出る気品は隠しきれない。そしてそれこそが、誰もに愛される、彼女の本質だったではないか。
 そんな当たり前のことを、多少でも疑っていた自分が恥ずかしかった。そうして、お見舞いに行ったこの日、僕は誰よりも多くを学び、祈りのうちに帰ってきた。
 この欄をお読みになった方が、たとえ瞬間であっても、札幌の宮本すみ子さんのためにお祈りいただけたら幸せです。そのような想いの集合が、“不治の病”をも回復に導くと信じているからです。

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