ヒンドゥの巨人 3

 昨年は、日・印国交樹立50周年。話は自然に日・印の文化論で盛り上がった。
 日本とインドは生活様式も国民性も、宗教に対する考え方も大変異なる。しかし、その底流に流れるものには同質のものを感じるなどと、僕はいっぱしのことを言った。
「たとえば昔、あるインドの聖者が来日したとき、日本の神社にお参りしてこう言いました。
 Shinto is Veda, Veda is Shinto….」
 日本文化の元にある神道と、インド文化の精髄ヴェーダとは同じだ。それぞれの民族は同一の真理を感得し、それをさまざまな形で表現したのに違いない。
 食後のスピーチで、アショク・シンガル師がこれを引用して言われた。
「かように、われわれの文化は同根であり、私は世界のどこに行ったときよりも日本において安らぎを感じる。この国の文化と国民に幸あれ……」
 そうして、後で言われた。
「ところで、ちょうどこれからインドでいろんな祭礼があるんですが……」

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ヒンドゥの巨人 2

 ホテルのロビーで待っていると、彼はいつものような飾らない、質素な服装で現われた。その満面の笑顔を見ると、思わず胸の前で両手が合わさるが、彼はそれを自分の両掌で包み込むようにして祝福した。
 VHP総裁アショク・シンガル師とお食事を、ということで、何人かの人が集まった。特別に注文した中華の菜食はまずまずだったので、一同、丸テーブルを囲んで舌鼓を打つ。
 僕の右隣にいたアメリカVHP代表・ガンジー師は、宇宙物理学者だという。彼はその職を全うしたあと、なんと夢に現われたサイババの指示に従い、現在はアショク・シンガル師の許で働いていると言った。
 左隣は在日インド大使館のお役人。急病で来られなかった総領事の代理で来たというこの人は、無口らしく、ただ黙々と料理を口に運ぶ。話してみると、12月に赴任したばかりで、まだ日本語も何も分からないという。中華の豆腐料理を見て怪訝そうな顔をされたので、これをお取りして説明すると、彼は初めて笑顔を見せた。

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ヒンドゥの巨人 1

 年始から固い話で恐縮だが、僕の信ずるヒンドゥ教とは、実に、単一の宗教ではない。神はさまざまな名で呼ばれても一つであり、真理はさまざまに表現されても一つであり、諸々の宗教はその単一の真理をさまざまに表現したものにすぎないとする、一つの巨大な思想・哲学だ。
 インド国民の85%はヒンドゥ教徒であるが、そのなかで最も活発な活動団体はVishva Hindu Parishad(普遍ヒンドゥ協会、VHP)と呼ばれる。現在のインド政権与党BJPは、VHPに支えられている。
 が、VHPは政治団体ではない。最近は、インドに40万から50万あるという村々すべてに学校を作るという目標のもと、すでに1万の村に学校を建てた。あるいは、地震などの災害があれば最初にかけつけるのは軍隊でも警察でもなく、VHPだといわれる。彼らにとっては、それがヒンドゥという普遍的思想の実践なのである。
 現在VHPは、国民的カリスマにより指導されている。この人が急遽来日したというので、ホテルにお訪ねした。

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メジュゴリエの聖母のメッセージ

 しばらくお休みしていましたが、メジュゴリエにご出現になっている聖母マリアの、本年最後のメッセージです。
『愛するかわいい子どもたち、
 今は大いなる恵みのときですが、平和の道を歩もうとするすべての人にとって、大きな試練のときでもあります。そのため、小さな子どもたちよ、わたしはもう一度、あなた方を招きます。祈りなさい、祈りなさい、祈りなさい。言葉でなく、心をもって。わたしのメッセージを生き、回心しなさい。
 わたしがあなた方とともにいることを神が許してくださったというこの賜物を、心にとめなさい。特に今日、平和の君である幼子イエスが、わたしの腕の中におられるときに。
 わたしはあなた方に平和を与えたいと願います。そしてあなた方が平和を心のうちにもたらし、他の人びとにも与えることを望みます。神の平和が、この世を治めはじめるようになるまで。
 わたしの呼びかけに応えてくれてありがとう』(2002年12月25日)

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聖夜

聖なる夜にヒマラヤの中腹・ポカラから届いたメールです。
「あなた方に平安!」キリストの挨拶のことばでした
世界の平和のため不安定なネパールの平和のためにも
そして皆さまの心の平安のために
平和の主キリストの降誕を皆さまとご一緒に祝いたいと思います
あわせてまもなく迎える2003年がご多幸な年でありますようお祈りいたします
大木 神父
それへの返信。
 先生、お元気でお過ごしですか?
 今頃、ポカラではちょうどクリスマスミサの最中でしょうか。先生の担任のクラスだった中二の年、楽しみで楽しみで仕方のなかったクリスマスミサの後、みんなで寮に泊まったときのことを思い出します。
 あのとき、寮の食堂で父母会の方の作られたうどん(食べ放題)をいただき、娯楽室で先生と一緒に「レオナルド・ダ・ビンチの生涯」を観ました。その記憶が鮮烈で、自分の洗礼式はどうしても聖夜に、と思っていましたが、先生はそれを12月3日と決め、次いで2日の放課後に変更されたのでした。そのため、生徒も先生方もみな期末試験の準備で忙しく、せわしなかったのを覚えています。
 僕が選んだ洗礼名(トマス・アクィナス)が先生のものと同じだということを、そのときは知りませんでした。もう、四半世紀も昔のことになります。
 昨年、読者の皆さんと巡礼の旅に出たとき、フランスのトゥールーズで、僕は何も知らずにドミニコ会最古の修道院に行きました。ところが、そこにあったのです。キリスト教神学最大の巨人、聖トマス・アクィナスの柩が。そこでロウソクを3本立て、お祈りしました。僕と、先生と、僕の本を読んで先生を支援してくださる方たち全員の分でした。
 ともあれ、よい年をお迎えくださいますよう、この聖なる夜に東京からお祈りいたします。
 2002・12・24   青山 圭秀

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利家とまつ 3

 今年もはや師走。また一つ、大河ドラマが終わる。しかし、『利家とまつ』は見ていない。最初、数回見たが、そういえば関が原がやって来る、と感じたところでやめた。
 この番組の音楽を担当したのは渡辺俊幸さん。さだまさしさんの編曲や、コンサートのときには指揮もする。
 今年の年賀状を整理していたら、渡辺さんのものには、「これから一年、『利家とまつ』の音楽を担当します」と書かれている。普通のドラマは、できあいの数曲を交互に流すだけだが、大河の場合は毎回、映像に合わせて作曲するらしい。
「作品に与える影響が直接的であるだけに、とてもやりがいがあります。お時間のあるときには、音楽のほうにも耳を傾けながら、是非ともご覧ください……」
 いつも誠実な、渡辺さんらしい文面だ。つい先日も、大河の作曲ももうすぐ終わりますというメールが入っていた。
 渡辺さん、一年間、ご苦労様でした。そしてごめんなさい、ドラマ、見ませんでした……。

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利家とまつ 2

 柳生宗矩の言葉を聞いて、僕はむしょうに腹が立った。家康は主君秀頼を裏切り、あんな汚い戦いをしたくせに、何が「救われた」だ……。
 その後、中学の寮に入ってしまったので大河鑑賞は中断され、寮から脱出した後も現代モノになってしまった時期はまったく見なかったが、『草燃える』、『独眼竜政宗』、『武田信玄』、『太平記』等は夢中で見た。『草燃える』は久々の石坂浩二さん、『独眼竜』渡辺謙さんからは、後に拙著を読んだ感想をいただいたりしたので印象が強く、『太平記』の真田広之さんはお終いのほうで演技が抜群に光った。
 こうして、明らかに時代物贔屓な僕も、しかし、決して見ないものがある。天下分け目の関が原。誰に感情移入しているのかは知らないが、とにかく「関が原」は耐えられない。ひょっとして、過去世の一つで、西軍の兵卒として討ち死にでもしているのか……。

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利家とまつ 1

 NHK大河ドラマを初めて見たのは、小学四年生のときである。石坂浩二さん主演の『天と地と』。戦国の武将・上杉謙信の世界に、あっと言う間に引き込まれた。海音寺潮五郎先生の同名の原作が、僕が初めて読み通した小説となり、いまだに数少ない読破小説の一冊である。
 その次の年は、平幹次郎主演で『樅の木は残った』。文学的に高度な作品であることだけは分かったが、上杉対武田のような明快な図式もなく、幕府の老中に田舎大名がいじめられる物語のようにしか見えず、子供心につまらなかったのを覚えている。
 翌年、『春の坂道』の冒頭近くのシーンは、今も忘れられない。関が原の戦いに敗れた石田三成が、刑場にひったてられる。群衆の罵声と、徳川方武将の冷たい視線のなか、一人の農民が三成に駆け寄るのである。
「お殿さま、どうかこの柿をお食べくだせーまし!」
 ところが、三成は答える。
「柿は腹を冷やすというでな……」
 これから処刑される者が何を言うかとみな笑うが、家康の家臣であった柳生宗矩だけは「これで三成も救われた……」とつぶやいたのだった。

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山形への旅 8

 かつて修験者が踏みしめ、今もそうであろう参道を、僕は革靴で登った。この頃には、予報通りの大雪となり、山全体が真っ白に変わっていった。
 雪をかぶった深山の木々と、厚い雲の下に舞う粉雪。こんな風景を、東京にいて見ることができるだろうか……。そう思いながら、僕はふと、式が終わったときのことを思い出していた。新郎新婦が聖堂を出たとき、ちょうど時を見計らったかのように、この日唯一の晴れ間が顔をのぞかせたのだ。
 不思議だった。後で聞くと、大荒れになるという予報だったのに、新婦だけは、「私たちが聖堂を出るときには、必ず晴れるわ」と断言していたというのである。一方、新郎は、--すでにあれほどの“奇跡”を見せられていたのであったが--「もしこれで、聖堂を出るときに晴れていたら、マリア様もサイババ様も信じますから、晴れるようにしてください」と祈っていたという。
 この愛すべき夫婦に祝福がありますようにと、雪の山寺で僕は祈った。
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中腹から下界を見下ろす
021112-2

陽が暮れても降り続く雪

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山形への旅 7

 共同祈願のとき、僕が神さまに向けて発した言葉。
『今日、結ばれた二人と、そして私たちすべてが、互いに愛しあうことで、愛であるあなたと一つになることができますように……』
 しかし、何日も前から用意していたのは、実は次のような祈りだった。
『人は、互いに愛しあうとき、自分たちがもともと一つであったという真実に気づき、 それゆえ、喜びに震えます。今日結ばれた二人と、そして私たちすべてが、この真理のうちに生きることができますように』
 小説『最後の奇跡』のテーマでもあった究極の不二一元哲学をカトリック教会が認めることは、今後も決してないであろう。その祈りを教会で叫ぶことを、僕はかろうじて思い止まったのだった。
 式が終わって、僕は「山寺」に向かった。山形駅から電車で20分のところにあるこの場所は、一つの山全体に多数の寺社・仏閣が設けられた、東北地方の一大霊場である。
021111-1

山寺入り口
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麓にある本堂

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