第七回 〜タイ バンコク・カンチャナブリ〜 四日目

 この日早朝、立派なホテルを泣く泣く後にする。カンチャナブリ近くにある寺で修行する日本人僧侶アチャン・カヴェサゴ師に会うためである。
 このスナンタワナラム寺は、かつては荒涼とした大地だった。そこに3人の日本人僧が10万本の苗木を植え、森を育てた。いずれは鹿を放し、虎が戻って来るような森にするのだという。
 寺は財団も持っており、恵まれない子供たちを大学まで行けるよう援助しているが、彼らもただ学校に行くのではなく、毎年、瞑想修行に寺を訪れる。
 アチャンは、長年タイに住まわれて、顔つきも言葉づかいも日本人ばなれしている。鋭い眼光が印象的だ。弟子のアチャン・アキさん(男性)は、あまりの厳しさに体重を90キロから60キロに激減させ、何度か寺から逃げ出したという。
 朝からお昼時まで、4時間近くも講話をしてくださったアチャンは、面白いことを一つ言われた。
「独身は、この世の他の何にも替え難い財産です」
 このとき、参加者の何人かが、思わずニンマリしたことは否めない。だが、ここで別の方がハイッと言って手を挙げた。
「あの、お言葉を返すようですが……」
 この言葉に、私は度肝を抜かれた。こういう方に、お言葉を返してはいけないのではなかろうか……。
「私は結婚して、とても幸せです。もう一度生まれ変わったら、やはり今の夫と結婚すると思いますッ」
 これに対し、アチャンは言われた。
「ま、そういう、宝くじに当たるような方も、おられるんですな」
 爆笑がおこり、私は胸をなで下ろしたのだった。
 後に、バスのなかで聞いてみた。このなかで、宝くじに当たった幸せな方は何人おられるのでしょうかと。すると、何人かが恥ずかしそうに、しかし満足そうに、手を挙げたのだった。
 旅には必ず終わりが来る。が、実質、中三日だったこの旅の、充実したことといったらどうだろう。こんな濃密な時間は、やはり日常では考えられない。
 これからインドという難物に立ち向かわねばならなかった私は、バンコクの空港でお別れしなければならない。涅槃仏のカードを買ったときにいただいた幸福の黄色い紐を、空港で、皆さんの手に巻きつけて別れを惜しんだ。
 この紐が切れるとき、その人の願いが自然にかなう。あのときも、今も、私はそう信じ、祈っている。
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第七回 〜タイ バンコク・カンチャナブリ〜 三日目

 この日、午前中に向かったのがダムヌンサドゥアック水上マーケット。ここまで来れば、実際のタイ人の生活が見れますよ、という事前の現地代理店の説明どおり、ボートのなかから運河沿いに見る光景は、生の生活そのもの。家のなかでくつろぐ姿まで見えてしまって、この人たちにお礼をしなくていいんだろうか、あるいは、観光業者が彼らに何らかの補償なりお礼なりをしているのだろうかと心配してしまう。
 美味しい、あまりに美味しい現地のお昼をいただいた後、バンコクの西130キロ、ミャンマーとの国境近くのカンチャナブリに向かう。数々の美しい滝や洞窟が点在するこの地は、アレック・ギネスの名演と「クワイ河マーチ」の『戦場に架ける橋』で知られている。
 この鉄橋を皆で歩いて渡っていると、突然、汽笛のような音が……。そんなバカな……と思っていると、なんと、実際に列車がやって来た。
「一日に一度か二度、こうして列車が来ます。ラッキーでしたね」というのが、ガイドさんの説明。日本軍が捕虜を虐待しながら作らせた鉄橋は、今も改修して使われていたのだった。
 その後、カンチャナブリの森林地帯に分け入ったわれわれは、象園の象に乗せてもらう。象が森に分け入っていくと、象使いは木の葉をとり、帽子を編んでくれる。さらに象はザバン、サバンと河に入っていって、われわれを驚愕させた。特に、母象に連れられた子象は、鼻だけ出し、体は河のなかを浮き沈みしながら器用に泳ぐ。その姿が可愛くて、みな大はしゃぎとなった。その後、一頭の象は、われわれのバスに乗ろうとして入り口を塞ぎ、動かない。
 この日の宿泊は、フェリックス・クワイ・リゾートホテル。広大な敷地内を、地図を持って移動するが、みな迷子になる。
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第七回 〜タイ バンコク・カンチャナブリ〜 二日目

 エメラルド寺院は、タイに来た人が必ず訪れる名所。このエメラルド仏は、紀元前43年、北インドで造られた。三百年後、内戦を避けて像はセイロンへ渡ったが、船が難破、仏像も海中に沈む。ところが、その仏像がアンコールの海岸に打ち上げられたのである。
 その後、仏像は盗難を避けるため石膏を被せられ、仏塔の中へ。誰もがこの仏像の価値を忘れてしまった1434年、仏塔に雷が落ち、中からエメラルド色に輝く仏像が現われたという伝説が残っている。
 このエメラルド仏もさることながら、一行は涅槃仏の巨大さに驚く。そうして極めつけは、ほとんど金でできているという黄金仏。これらの仏たちに接することができて、もうそれだけで幸せ、という人も。
 午後、栄光のアユタヤ遺跡に向かう。
 バンコクから北へおおよそ80キロ、四方をチャオプラヤー川とその支流に囲まれた中洲に、アユタヤの街はある。1350年から417年間、5つの王朝が栄えたアユタヤ王国の都は、山田長政をはじめ周辺諸国や中国、ペルシャ、西欧諸国と交易を行ない、イギリス人からは「まるでロンドンのような見事な都だ」と絶賛された。
 夜、ライトアップされた遺跡を象車から見ながら、往時を偲ぶ……というのがこの日の趣向であったが、なんと、象車が修理に出ていて乗れないという。現地ガイドは、「ちゃんと確認をとったのに……」。しかし、これがアジア旅行の醍醐味でもある。
 代わりにわれわれは二班に分かれ、車を自転車に引っ張ってもらう。が、この“自転車・車”、闇夜にテカテカのライトをつけて走る傑作な代物。バスに残った皆さんが爆笑するなか、乗っているほうは気づかず、手を振って愛想を振りまく。そして帰りは、逆のことが。思い切り笑い疲れて、帰路につく。
 ホテルに着いたのは11時近くだった。それでも多くの人はタイ式マッサージのお店へ繰り出す。タイの高級エステを試してみる方も。
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第七回 〜タイ バンコク・カンチャナブリ〜 一日目

 思えば、最初の『大いなる生命と心のたび』は中国で、第二回はバリだった。その後、ルルドを始めとしたヨーロッパの聖地に行くようになり、すっかりはまってしまった私は、アジアの旅のことを忘れていた。が、それを思い出させてくれたのがタイだった。繰り返しになるが……
 昨年(02年)、国連主催で行なわれた世界宗教者・精神指導者平和サミットで、祝辞を述べたタイ国皇太子が、壇上から降りると、まず仏教の大僧正の前にひざまずき、祝福を受けた後に退場していかれた。インドでも、首相や大統領は精神的指導者の前には深く額ずくが、一般のインド人はあまりにしばしば礼儀知らずで愕然とする。それに比べてこの国では、報道カメラマンですらシャッターを切るたびにお辞儀をし、話しかけてくる僧侶は笑顔を絶やさない……。もちろん、一つの国にはさまざまな面があるだろうが、とにかくいつか、読者の皆さんと一緒に来てみたいと本気で思うようになったのだった。
 着いたこの日、きらびやかな古典舞踊を見ながらの夕食のメインはグリーンカレー。カレーなのだが、味が緑色……とでも表現しようか。美味しすぎてきれいに食べてしまった、という人と、スパイスが効きすぎてあまり食べられなかったという人の二手に別れる。
 食後、疲れた方はお休みに。まだまだという方は、ホテル横のマッサージ屋を訪ねる。タイ古式マッサージは全身二時間で約800円、フットマッサージは一時間で同料金。聞くと、足のほうが、マッサージに体力を要するからだという。
 ホテルの部屋にマッサージ師を呼んだ人もいた。値段は二〜三倍になるが、それでも日本に比べれば、まだ何分の一かだ。

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世界情勢 2

 スコット・リッター氏の言うことが全面的に正しいのかどうかは、われわれには分からない。しかし、アメリカの主張にも無理がありそうなことは、多くの人が感じている。真実は、おそらくその中間のどこかにある。どの辺にあるのかは分からない。が、その如何にかかわらず、アメリカは戦争を始めるだろう。
 僕は、はっきり言ってアメリカは、この戦争に勝つことはできないと思う。たしかに、アメリカがイラクを形の上で制圧することは難しくないだろう。しかし、適切な手順を踏むことなく行なわれた戦争に最終的に勝つことなど、どの国にもできない。形の上での勝利の陰で、その後、長い間かかってやってくる敗北の代償を、アメリカは、そしてその同盟国は、支払わされることになるのかもしれない。

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世界情勢 1

 他のすべての仕事をうっちゃって、講演の準備を進めている。これほど時間をかけなければならない理由の一つとして、今回の内容に国際情勢がからんでいることがある。
 2000年の9月11日以降、それまで潜在していた世界の問題が一気に噴出したような観がある。それは、昨年参加した国連の世界宗教者会議においても、さかんに議論された。現代の世界情勢は、政治・経済だけではなく、宗教の理解なくしては語れないものになってしまったのだ。混迷した政治・経済を宗教が救うというのではなく、宗教そのものが政治・経済の混迷を深める結果になってしまっているのである。
 日本にとって、火急の問題は北朝鮮の脅威かもしれないが、世界の目はイラクに注がれている。先日、長年にわたって元国連査察官を務め、現在はアメリカによる戦争を阻止する立場にあるスコット・リッター氏にお会いする機会があった。彼は言う。イラクに存在するとされる大量破壊兵器は“幻影”であると。その上で、アメリカは適切な法的プロセスを経ることなく開戦を決意している、というのが彼の主張だ。

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ヒンドゥの巨人 7

 アショク・シンガル自身もまた、移動中、驚くべき話を語ってくれた。
『マハーバーラタ』の時代、すべてを奪い取られて困窮したパーンドゥの五兄弟に対し、神は「アクシャヤ・パトラ」を与えたと伝えられている。必要な食べ物、飲み物が、必要なときに湧き出る器。ところが、実はそれと同じものをサイババが物質化によって創り出し、十二人の弟子に与えてヒマラヤに送り出したという噂を、僕は以前、アシュラムで聞いて知っていた。
 ヒマラヤの洞窟で、彼らは朝4時から瞑想に入り、「アクシャヤ・パトラ」から得られるミルクやジュース、木の実で生きた。そうして最終的に何が起きたのか、この話の顛末を、アショク・シンガルは、実にサイババ本人から聞いて知っていた。
 その他、旅行中にあった不思議な出来事については、正直、ここに書き切れない。2月15日の講演の冒頭で、お話しするつもりでいる。

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ヒンドゥの巨人 6

 この祭礼を主催したシュリ・シュリ・ラビシャンカールは、インドでもっとも有名な聖者の一人だ。人は彼を、おそらく現在、インド一裕福な聖者と呼ぶ。この人とシャンカラチャリアに会えると思っていたので僕も残念だったが、多分、叱責された幹部にも言い分があったことだろう。だがおかげで、僕は数時間、VHPの他の幹部連中と話すことができた。
 そのうちの一人は、西洋医学を専攻した精神科医であった。彼は、VHPが一万ほども作った学校のうちの数十を、経済的に支えているという。
 彼はまた、サイババを囲んでアショク・シンガルと四人で話合いをもったことがある。
 そのとき、サイババが言った。
「君たちは、このアショク・シンガルを誰だと思っているのだね?」
「……」
 誰も、何も答えられずにいると、サイババは言った。
「アショクは、(ラーマ王子とシーター妃をランカより救出した)ハヌマーン神の化身なのだよ」

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ヒンドゥの巨人 5

 前後を二台ずつの護衛で囲まれた車のなかで、アショク・シンガルは、ヒンドゥイズムや、サイババとの体験について語り続けた。
 彼は、12年に一度、全国から数百万ともいわれる巡礼者を集めて行なわれる「クンバメーラ」 の行なわれる地の出身だ。そこでシンガル少年は、数多くのヨーガ行者、聖者、賢者らに出会ってきた。そうして、現在は毎朝3時に目覚め、4時間近くをかけてヨーガの体操、呼吸法、マントラ、プージャ(ヒンドゥの宗教儀式)を行なう。そうした宗教的な人格が、クンバメーラで醸成された。
 旅の途中、VHPの幹部が、一つのプージャをキャンセルしたことがある。バンガロールで行なわれるシュリ・シュリ・ラビシャンカールのプージャを、スケジュール上の都合か、あるいは警護上の都合かでキャンセルしたのだった。だが、このプージャにはバジパイ首相やカンチープラムのシャンカラチャリア(ヒンドゥ教の、いわば大僧正)も出席する予定で、アショク・シンガルもそのつもりでいたのだった。
 彼は言った。
「プージャ(儀式)は、他の予定よりも優先するべきだ。他のどんなことより大切なのだ!」

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ヒンドゥの巨人 4

 ……という訳で、急にインドに行くことになってしまった。
 こういうものはすべて、出会い頭のタイミングだ。すでに一年近くインドに行っていないので、ちょっとしたきっかけで行きたくなったときが行くときなのだ……と自分に言い聞かせようとするが、日本の仕事をうっちゃって行くにはある程度、周りに迷惑がかかる。その後ろめたさを払拭できないのは、インド人と日本人の国民性の違いかもしれない。だが、いつ行くとしても、大なり小なりの踏ん切りは必要なのだ。
 インド国内を移動中のアショク・シンガルは、日本での彼とは違った側面を持つ。インドにもイスラム過激派がおり、彼らがヒンドゥ教のシンボルとして第一の標的としているのがほかならぬアショク・シンガルなのだ。
 したがって、国内を移動する彼には、常に十数名の護衛がつく。インド国防軍の兵士と、地元の警察。州をまたいで移動するときには、州境で護衛の警官が交代する。

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