聖者の指示により、5月26日、四国を巡礼することとなった。
いつものように高松入りし、空港でS君と何人かの皆さまの出迎えをいただくと、
まるで故郷に帰って来たかのような感覚に陥る。
今回、特に訪れたのは、雲辺寺である。
四国八十八箇所のうちの第六十六番札所。
もっとも標高の高い位置にあることから、「四国高野」とも呼ばれる。
789年、若干15歳の少年・空海が善通寺建立のための木材を求めて登った際、
この地の特別な霊性を感じ取り、堂を建立したとされる。
空海はまた、33歳のときにはこの地で秘密灌頂の修法を行い、
霊山としての地位を不動のものにした。
通常の方法で登ることはほとんど不可能なので、
ロープウェイを使って眼下に遥かな山並みを眺めながら着いたのは標高1000メートル、
かつてはここで数多くの修験者たちが、日々、真言を唱え、
護摩を焚いて、修行に勤しんだ一大聖地だという。
頂上には甲冑に身を包んだ毘沙門天の大像があり、威容を誇る。
毘沙門天、それは日本の神仏のなかで……
私がもっとも早い時代に憧れた方だ。
海音寺潮五郎の名作『天と地と』は、私が中学時代に読んだ唯一の小説だが、
そのなかで、謙信の母は日夜祈祷を捧げ、
授かったのが長尾虎千代、後の上杉謙信であるとされていた。
生涯を通じ、戦さに負けることがなかったという謙信は、
自らを毘沙門天の化身と信じていた。
そんなことがあるのか……。
私はあるだろうと思っている。
化身かどうかは別として、神仏の特別な守護のもとにあるような人が、
相対界にはいるものだ。
観音経を日々、唱えた末に身ごもられた、京都にお住まいの私の知人は、
この世のものとも思えぬ美貌の少女をお産みになり、
彼女は後に、ミス日本他のタイトルを総なめにした。
ともかくも、
われわれはその毘沙門天の御足元で瞑想をさせていただくこととなった。