太古の時代、ユダヤの民は神を仰ぎ見、礼拝し、
その与える律法を守ることで神の国に入れるものと考えた。
予言者たちは神から下ろされた言葉を民に語り、
神によって創造された者、律法を守るよう定められた者、
神に仕える者、人生を捧げる者、あらゆる意味で、民は僕(しもべ)であった。
キリストに仕えた弟子たちもまた、
自分たちはキリストの僕であると感じていたに違いない。
さほど偉大でない師に対しては、人はそれほどの感情も抱かないだろう。
しかし、どこにでもいそうな普通の人間だった弟子たちにとって、
イエスはあまりに偉大であったので、
例外なく、彼らは自らをイエスの僕と感じていただろう。
そうして3年が経とうとしていたとき、ある年の過ぎ越し祭で、
イエスは突然、自分がもはや、弟子たちとそう長くはいられないことを告げた。
弟子たちには、意味が分からなかった。
が、イエスは続けて言う。
「最後に、一つの掟を残す。それは互いに愛し合うことだ」
そうして、その掟を守る弟子たちを、もはや僕とは呼ばない、
おまえたちはわたしの「友」だとまで言い切った。
最後の晩餐というイエスの生涯のクライマックス、
そしておそらくは、聖書のなかでも最も美しいこの場面について、
四福音書のなかでも圧倒的に語ったのは……


いうまでもなくヨハネである。
その部分を、31日のセミナーではお話し、
<瞑想くらぶ>では、
先日の<木曜くらぶ>でできなかった、旅行中の写真の解説を行います。
また、サイババからいただいたプラサーダムのお菓子と、神聖灰ヴィブーティを、
希望者にはお持ち帰りいただきたいと思っています。
<事務局より>
31日(日)には、<プレマ・セミナー><瞑想くらぶ>後、
懇親会を行ないます。(参加費:1000円)
先のインド旅行においでになった方も、ならなかった方も、奮ってご参加ください。
ささやかなインド料理と、
旅行中の様子を映した動画をご用意してお待ちしております。
また、恒例となりました大クイズ大会では、知力・体力・ときの運を駆使して、
今回、青山先生がインドから持ち帰った豪華賞品をゲットしてください!


カテゴリー: キリスト教 パーマリンク

コメントを残す