罪人


現在、月に一度、日曜日に解説している【ヨハネによる福音書】のなかに、
不可解な部分がある。
他の箇所と比べ、用語、文体、語法、ことごとく違っている。
したがって、もともとヨハネが、
またはその弟子が書いたものではないだろうといわれるその部分は、
しかしその内容から、非常に有名な箇所である。
あるとき、イエスが教えていると、ユダヤ教徒たちが一人の女を連れてくる。
女は、姦通の場を捕えられたというのである。
ユダヤ教徒たちは大いに興奮して言った。
「モーセの律法では、姦通をした女は石打ちの刑に処せと書かれています。
先生、この女をどうしたらよいでしょうか」
石打ちの刑とは、一人に対し、皆が一斉に石を投げて殺す刑である。
もしイエスが、石打ちにしなさいと言えば、
日頃の愛の教えはなんだったのかということができる。
逆にイエスが、石打ちにしなくてよいと言えば、
律法を守らなくてよいと言ったことになる。
日頃からイエスを面白くないと思う人びとにしてみれば、
格好の材料が手に入って、小躍りして喜んだことであろう。
さて、そのように迫るユダヤ人たちに対して、
イエスはこれを相手にすることなく、地面になにかを書いておられた。
それでもあまりうるさいので、イエスは一言だけ言われた。
『では、あなた方のうち、罪のない者がまず最初に石を投げなさい』
これを聞いた者たちは、困惑した。
われわれは皆、自分のことはたなにあげ、他人の欠点をあげつらうものだからだ。
では仮に悟りを啓いて、罪から解放された人がいたとしたら、
その人は本当に最初の石を投げるだろうか。
たぶんそんなことはしないだろうし、
または石投げの音頭をとったりもしないだろう。
そもそも、そうやって人に石を投げ、または殺してしまってから、
後でそれが濡れ衣だったことが分かったら、いったいどうするのか。
こうして、一人、また一人とその場を去って、
最後にはイエスと女だけが残されたと福音史家は記している。
限りなく柔和なイエスの唇から……


『あなた方のうち、罪のない者がまず最初に石を投げなさい』
という言葉が洩れたとき、
大げさにいえば宗教の歴史が変わったのである。
少なくとも、ユダヤ教の歴史が変わった。
しかし、それから2000年が経って分かるのは、
われわれの心が変わるのは難しいということだ。
今度の日曜日には、ちょうどこの箇所と、
その周辺の興味深い箇所にさしかかる。


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