『五輪 2』―宿命のライバル―


表題のこの言葉を、私は子供の頃から聞いていた。
われわれの時代の「宿命のライバル」は、
もちろん、劇画『巨人の星』に登場する星飛雄馬と花形満の関係をいう。
劇画のなかで、星飛雄馬は貧しい家に生まれ、父親はその名のとおり頑固一徹。
激しい体罰など日常茶飯事だ。
一方で花形満は財閥に生まれ、少年時代から好き放題の生き方をしてきた。
が、そのあまりに恵まれた野球の才能はおそらく星飛雄馬を上回る。
そんな二人が、少年時代に巡り合い、中学・高校を経、プロに入ってからも、
ライバルとしてしのぎを削るのが劇画『巨人の星』の縦糸を織りなす。

萩野公介と瀬戸大也は、さしずめ現代の「宿命のライバル」といえるだろう。
生まれついての天才スイマーであった萩野に、
いつも追いつき、追い抜こうとして努力を重ねてきた瀬戸。
しかしこの現代版「宿命のライバル」は、かつてのそれとはいささか赴きが異なり、
どこまでも爽やかだ。
長きにわたって戦ってきた二人は、アスリートであれば
自分が一番高い表彰台に立てばそれでいいと感じてもおかしくないのだが、
「オリンピックの舞台でワン・ツー・フィニッシュしたい」と普通に語る。
それが、いかにも自然体なのだ。
かつてのような、スポーツにおける根性主義や、
人を蹴落としてでもという“執念”の感覚は、あくまで希薄である。

国全体が食うや食わずだった時代から激しい高度経済成長期を経て物質的に豊かになり、
精神的な余裕も生まれれば、こうしてスポーツのライバル関係も変わってくるのか。
世界のトップに立つような人びとにとっての日々の練習は、
昔も今も変わらぬ厳しさであるに違いないが、
それでもあくまで合理的・科学的な練習を繰り返し、
競技と人間関係を分けて考えることができる、
息抜きにポケモンGOを楽しむようないわば「ゆとり世代」の子供たちの時代には、
かつての『巨人の星』のような物語はもうあまり流行らないのかもしれない。

このような二人がこれからも友情を深め続けて……

もしかしたら東京オリンピックでも金銀のメダルを分け合い、
それよりもはるかに長い引退後の人生を豊かに生きることができたとしたら、
それこそオリンピックのメダルよりもさらにまぶしいことだと、
そんな夢を見させてくれるのが、やはり「オリンピック」なのである。


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