第十回 〜ローマ・アッシジ・メジェゴリエ〜 二日目


聖フランシスコが母親の胎にいたとき、一人の僧侶がフラリと現れ、預言を残した。「この子は、今に世界に影響を与える者となりましょう……」そこで母親は、イエスに倣い、彼をみすぼらしい馬小屋で産んだと伝えられる。
今は小聖堂となっている、聖フランシスコの生地、聖女クララの遺体のあるサンタ・キアラ教会、フランシスコが最初に再建したサン・ダミアーノ教会を経て、聖フランシスコ教会を巡礼した。
これまで私は、ここに来る度、奄美ご出身の滝神父様にお会いしていた。滝神父は、その後日本に帰られ、今は同じ奄美出身の平(たいら)神父がおられる。
神父は私たちをミーティング室に入れて下さり、聖フランシスコ聖堂の由来、第一級の芸術品、聖者の遺品などについて、系統的に説明してくださった。その後、それらのいっぱいつまった聖フランシスコ教会へ。
午後は、サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会を巡礼。壮麗な創りの「天使の聖母」教会の中に、聖女クララが剃髪し、聖フランシスコが亡くなった小さな修道院が納められている。
ここは、たった一カ所の巡礼で、それまでの罪の罰がすべて免除されるという「全免償」がローマ法王庁から認められた、唯一の教会であるとされる。それもこれも、すべてはキリストに倣って生涯を閉じた聖フランシスコの功徳による。
サン・ダミアーノの朽ちた教会で、キリストから『傾いた我が家の再建せよ』と命じられてちょうど今年で800年、聖フランシスコは東洋の国からこのような巡礼団が来たことを天国で見ていて、祝福してくださったに違いない。
アッシジを後にしたバスは一路、ロレートへ。そこに、聖家族が実際に生活したという家がある。1291年、イスラム教徒の侵攻を避け、天使たちがここに運んだというものだ。
午後9時出航の船にどうしても乗らなければならないのに、ロレートに着いたのが7時ちょうど。だがここは絶対に見逃せない。これを逸すれば、二度とふたたび来られないだろう。30分だけ、ということで教会に向うが、建造に3世紀を要したというこの壮麗な教会、どこから入ればよいのかも分からない。まごまごしている間に、5分、10分が経過する。
そのとき、一人の怪しげな男が登場した。Mさんをつかまえて、盛んに話しかけている。私は思わず、男に聞いた。「英語、話せますか?」なんと、英語を話した彼は、われわれを聖家族の家まで一直線に導いてくれた。さらには、かつてここに天正の少年使節団が来たこと、この地から日本に渡って殉教した人びとがいたことなどを説明し、その上最後に日本語の小冊子までくれた。
この男、一体何ものだったのか、誰にも分からない。しかしとにかく、謎の男の登場で、われわれは閉まる寸前の『聖家族の家』に入れたのだ。
予定通り7時半にロレートを出、美しいアドリア海が視界に飛び込んできたときには感動した。楽勝だ……。
そう思ったのも束の間、今度は渋滞につかまった。事故があったらしく、港を目前にしながら大きく迂回しなければならないという。アンコーナ港に着いたのが、8時40分。出国・乗船手続きが終わったのが9時2分前。午後9時、乗船とともに出航。さすがの下江添乗員も、私も、本気で肝を冷やした。
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聖女クララの眠る柩
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聖フランシスコの生地
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クララ会のシスターと
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熱弁を振るう平神父
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聖フランシスコの像
(鳩は本物です)
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聖者の休んだ石のベッド
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ナゾの男
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夕暮れのアンコーナ港


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