正統について 4


『盛者必衰の理』
われわれの宇宙を支配するこの普遍法則は、
地上最大の権力であったローマ・カトリック教会をも例外とはしなかった。
教会は、徐々にその権威も権力も失っていき、
現在のフランシスコ一世の時代は、
ローマ法王の権威を認めるというキリスト者が世界中に何億人かはいる一方で、
それを認めないという人びともまた、
何億人か存在する。

この問題を考えるのに焦点となるのは、主に以下のような点だ。
1)まず、イエスは本当にこのとおりのことを言ったのか。
  (その事実はどのようにして保証されるのか)
2)この言葉に関するローマ・カトリックの解釈が唯一正しいのか、そうではないのか。
3)仮にペトロが首位権を得たとしても、
  その後継者たちはこれを“正統に”継承してきたのか。
これらすべての論点が、それぞれにキリスト教世界を二分する大問題であり、
各々の教会がそれぞれの立場を主張する他ない状態となっている。
すなわち、決着は、キリスト教の中ではつかない。

聖書と、キリスト教を解説する以上、
これらの点にまったく触れないということはできず、
これまで何度となく、この問題を解説してきた。
が、とうとう今週、まさに問題のその箇所(マタイ第16章)に突入する。
他の3福音書にはない、マタイだけにあるこの記述は……

おそらくはキリスト教を一つに統合しておくのにどうしても必要であったに違いない。
しかし実際には教会はそれに失敗し、
今後もこれが統一されるだろうという気配も、見込みもない。
キリスト教のなかでは決着がつかない問題なのだから、
キリスト教徒ではないわれわれがとやかく言う必要はないのかもしれないが、
しかしわれわれの誰もが、
2000年前に生きたあの神人の真実を知りたいという欲求をもっている。
今回の解説では、キリスト教内外から、そしてヴェーダ的な立場から、
“正統”という、この永遠の問題を探求する。


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正統について 4 への3件のフィードバック

  1. イスカーナヤマト のコメント:

    神道とは、最も簡略化した芸術である。ヤマト

  2. SHO のコメント:

    果たして、垣根を有する固有の宗教が本当に人を救い得るのだろうか。垣根を持てば、必然的に垣根の内と外の世界に軋轢を生じるのを避けられまい。
    ゆえに、真に優れた信仰のあるべき姿とは、垣根を持たず、固有の形式や作法を限りなく簡素化した伝承文化に埋没したものとなるに違いない。

  3. Scarlet O'Hara のコメント:

     昨日,所用で広島へ行き,久しぶりに幟町の教会に立ち寄りました。パイプオルガンの音(練習のようでしたが)を聴きながら大聖堂に少しの間座っていると,いろいろな思いが浮かんでは消えて行きました。観光気分で気楽でしたが,宗教となると難しい問題があったことを思い出しました。

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