先輩 7


私は、彼の風貌を忘れていなかった。出席者の名簿には「三谷幸洋」、まさにその人の名があった。
おおよそ30年ぶりにお会いした先輩は、今はある通信系トップ企業の幹部である。
光栄にも私のことを覚えてくれていて、「昔と変わらないね」と声をかけていただいた。が、変わらないのは先輩のほうだった。深みのある声、爽やかで知的な風貌。 実は、11月2日付けで書いた離岸流の条件は、その後彼から教えられたものだ。
話は、高校の執行部から、あの海の事故のことに及んだ。先輩は、亡くなったわれわれの同級生の名を覚えておられた。そして遠くを見つめるような眼差しで、本当に残念な出来事だった……とため息をついた。
あのとき、溺れていたわれわれは、大きな運命に弄ばれているかのようだった。何名かの教師を含め、大海に浮かぶ木切れか、それ以下だった。
そんな中、獅子奮迅の働きをしたその人は、あの事故のことを、まるで自分の責任ででもあったかのように口にされたのだった。


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