礎石 3


イエスは、シモンを弟子にするにあたり、他の華々しい(?)奇跡を見せることもできたに違いない。だが、プロの漁師が一晩中漁をして何も獲れなかったのに、一転、大漁となったときの感覚が、シモンにとっては何にも増して確かなものだったのかもしれない。
イエスの超越性を見せつけられたシモンは、しかし同時に、自らが普通の、罪にまみれた人間であることを自覚していた。そこで、どうかあなたのような方は私からお離れになってください、という言葉が出た。
ここにシモンという男の、神的なものに対する畏怖の念が垣間見える。イエスが一介の漁師を自分の一番弟子にするにあたり、そのような純朴なところを愛でたであろうことは容易に想像がつく。
神聖な存在に対する畏怖の念は、すっかり悟りを啓いてしまうまでは、人間としてある程度必要なものなのかもしれないと、ときどき思うことがある。
瞑想講座の初日、瞑想で用いる神聖な音(マントラ)をお教えするわけであるが、この音や瞑想の方法に対して皆さんがそれぞれに厳粛な思いを持っておられることが伝わってくるとき、教える側もまた、心からよかったと思うのである。


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