破局 5


『天地は過ぎ去る。だが、わたしの言葉は過ぎ去らぬ』
過ぎ去らぬというイエスの言葉とは、カトリック教会のことではないだろう。
カトリック教会のうち、当然、建物は過ぎてゆくだろう。過ぎ去らないモノは、この世の中に存在しない。
 教会の枠組みや、ヒエラルキー組織も過ぎるだろう。永遠に続く組織など、存在しようはずもない。
そして教義すらも、過ぎゆくだろう。真理そのもの以外に、過ぎてゆかない仮説も、理論もあり得ない。
しかし、仮にそのようなことがすべて起きたとしても、イエスの言葉、イエスの教えの精髄が過ぎ去ることはないだろう。イエスの説いた『愛』の崇高さは、ローマ・カトリック教会の盛衰とはまったく別に、過ぎ去ることはないだろう。
ちょうど、ユダヤ教がそうであった。ユダヤ教の形式は、世界宗教としては、過去のものになったといってよい。だが、イエスはその精神を引き継ぎ、人類に精神的革新をもたらしたのであった。


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