破局 4


ヴェーダは、そのような破局は、大なり小なり、ある程度の間隔をおいてやってくることを告げている。戦争にしても災害にしても、それらは、自然界に生きる個々の生命が自然の法則を犯す、さまざまな罪科の積み重ねとして起きてくる。
人が人を殺したりというような、大きなものだけではない。たとえば親がいらいらして子供にあたり、上司が理不尽な命令を部下に下し、あるいは目下の者が目上に充分な敬意を払わず、夫が妻に、妻が夫に思いやりのない言葉を吐きといった、日常的に犯される小さな罪科が蓄積されていったとき、自然は最終的に、さまざまな形の災厄で正義を通したり、生命の進化を促したりする。
現在、<プレマ・セミナー>で解説している東洋の聖書『バガヴァッド・ギーター』は、一貫してそのことを教えている。
イエスもまた、言う。
『まことにわたしは言う。それらがみな実現するまで、今の代は過ぎ去らぬ』
それは必ず来るというのである。しかしイエスはまた、それでも過ぎ去らないものがあるという、より本質的なことを同時に語っている。
『天地は過ぎ去る。だが、わたしの言葉は過ぎ去らぬ』
(マタイ 24・34〜35)


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