『大いなる生命と心のたび』9


アイヤッパ神のもとに近づいた頃、私はもうフラフラの状態だった。
が、ここからさらに長く、気の遠くなるような待ち時間が訪れる。
毎日、少なくとも数万、もしかしたらそれ以上の人びとが巡礼に来て、
そのすべてがあの18段の階段を登る。
ほんの一瞬でもアイヤッパ神を見ることができれば、幸運だ。
しかし、多くの人は、次の人に押され、
または警官に押されて、一瞬たりとも神像を見ることはかなわず、
その年の、または一生に数度の、または生涯ただ一度きりの巡礼を終える。
そんなことを微かに思いながら、ほとんど気を失いそうになっていたとき、
一人の警官が近づいてきた。
やや位の高そうな、警部かもしれないこの人は、私を見て言った。
「いったい、どうしたんだ!」
何を怒られるのかと思ったら、そうではなかった。
「この外国人は、病気じゃないか!」
警部は、私をこのまま担架に乗せ、山を下ろそうとしているようだった。
実際、何人か、瀕死の状態になり、そのようにして山を下る人がいるのを今回も見た。
しかし、冗談ではない。それでは一体、なんのためにここまで来たのだ。
私は言った。
「アイヤッパ神のところまで行きます……」
「大丈夫なのか!」
「大丈夫です……」
同行者の何人かが、私が単なる巡礼者ではなく、聖者の指示により、
どうしてもアイヤッパ神像の前まで行かなければないないことを説明してくれた。
さらに一人が言った。
「この人は、ここ(ケララ州)でクリシュナ寺院を建てた人です」
「クリシュナ寺院を……?」
警部は敬虔な人だったのだろうか、そのことに心動かされた様子だった。
無線で連絡をとったかと思うと、何人か、部下のような警官が来て、
まったく動いていなかった列を少しだけ抜いて、前に進むことを許してくれた。
それでもなお、荷を頭に載せたままの待ち時間が何時間もあったが、
しかし地元の人のこの心遣いは大きな勇気を与えてくれた。
クリシュナ神が、助けにきてくれたのだ。
なんとかぎりぎりのところでアイヤッパ神の前までたどり着いたとき、
18段の急な階段を前にして、ふたたび言い知れぬ恐怖心が湧いた。
これを登れるか……。
もう、ほとんど体には力が入らない。
しかし考える間もなく、私はその流れに呑み込まれていった。
人びとに押し合いへしあいされ、
警官に押されたり引っ張り上げられたりしながら、
徐々に階段上のほうに近づいていく。
一番上、つまりアイヤッパ神に最も近づいたとき、
となりにいた老婆が全身を声にして叫んだ。
「アイヤッパ〜〜! アイヤッパ〜〜〜!!」
私も思わず日本語で叫んでいた。
「助けて! 助けてください!!」
例の警部は、私のために小部屋を用意してくれたらしい。
私はそこに倒れ込み、半ば気を失ったような状態でいた。
気がつくと夜中の1時過ぎだった。
ここにこのままいることはできない。
下山しなければ……。
荷物を人に持ってもらい、手すりにつかまりながら坂道を下る。
足の裏と、体全体が、奇妙な痛みに襲われていた。
熱が出ているわけではないのに、熱発したときのような体の痛み。
その痛みを抱えたまま、その後数日間、ほとんど何も口にすることもなく、
チェンナイ空港まで車で運ばれた。
思えば、20年前に初めてインドに来て以来、
この国の神秘に出会い、感動し、ときには騙されたり苦しんだりしながら、
あっという間に年を重ねてきた。
その間に実地の体験や文献、その他の方法で蓄積してきたヴェーダの知識を、
私は今、皆さんにお教えすることができる。
そう考えると、ときにこうした苦しみがあったとしても、
その日々までもが愛おしく感じられる。
そのような試行錯誤を繰り返しながら、われわれは人生を重ねていく。
そして気づいたときには、一年が終わり、十年が経ち、
そうして、一つの人生が終わっていくだろう。
そのとき、少しでも充実したいい人生であったと、
もしできることなら、近しい人や、地域や、ひいては国家の役に多少なりともたったと、
最後に思いながら死にたいと思う。
なお、一年の終わりに当たり……


今年こうしてブログを読んでくださった皆さまのご多幸を祈りつつ、
謹んで年を越したいと思います。
本年も、ありがとうございました。


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