『理性のゆらぎ』に少し書いたが、
後援会の集まりに行っても、昔からウーロン茶しか出なかったようだし、
およそ地元に、利益誘導らしい利益誘導をしたという話を聞かない政治家だった。
私自身は、この人と面と向って話したことがそう多いわけではないが、
かつてご母堂様が亡くなられたとき、お悔やみを申し上げると……
少し前に私が書き送った手紙のことに触れられたのを思い出す。
それにはすでに、お返事をいただいていたのだが、
それにしても何という記憶力の強い方かと感心した。
しかしそうしたことは、時を経てみると、
記憶力云々というよりもその人の人柄を示すもののように感じられ、
だからこそ、こうしていざ亡くなってみると、
上辺のことではない、
真に淋しさとお悔やみの気持ちが湧いてくるのではないかと、
私は思うのである。