五輪18


コマネチ同様、この二人がその後、どのような人生をたどっていったか、
多くの人は知らないのではなかろうか。
メアリー・デッカーは、4年後のソウルオリンピックにも出場、
1500メートルで8位、3000メートルで10位になっている。
そしてなんと、一つおいて、8年後のアトランタオリンピックにも出場したが、
決勝に残ることはできなかった。
1996年、アメリカに住んでいた私は、
オリンピックを観戦にアトランタに行った。
通常なら、長年やってきた大ベテランに対し、
メディアはこれを称賛しながら引退させていくものだと思ったが、
生まれながらの女王メアリー・デッカーはなにかとマスコミと衝突したらしく、
とても冷たい扱われ方をしていたのを思いだす。
結局、あの全盛期に迎えたロサンゼルスでの悲劇を修復できないまま、
彼女は競技人生を終えていった。
しかし38歳でオリンピック陸上に出場したこと自体が、
いかに彼女が図抜けた才能の持ち主であったかを物語っている。
同時に、通常ならとっくに引退しているはずの歳までオリンピックにこだわった彼女の、無念も伝わってくる。
一方のバッドもまた、傷心を抱えたまま南アフリカに帰り、
数年間、消息が聞かれることはなかった。
89年に結婚し、アパルトヘイト政策の終焉とともに、
彼女は92年のバルセロナオリンピックに出場している。
(それはちょうど、デッカーが出場しなかったオリンピックだ)
しかし決勝に残ることはできず、やはり競技人生を終えていった。
それは、一瞬の出来事だった。
が、二人の人生を左右しただけでなく、
世界中の人びとの記憶に残る出来事となった。
そのようなことが起きる二人は、当然のことながら、
遠い過去世からなにかの縁でつながっていたに違いない。
ただ、そのような事実も、それが何かも知らないまま、
二人は今回の人生で巡り合い、事故は起きた。
いずれにしても、オリンピック史上まれに見る、
悲運のライバル同士だったことは間違いない。
ところで、私には、ゾーラ・バッドの足がひっかかったのは、
最初から偶然に見えましたが……と書いたところ、
投稿者の方からは以下のようなお返事が届いた……


青山先生
やっぱり先生はごらんになってたんですね
もう四半世紀前のことなのに私が忘れられないのは
(全力で走りながら足をひっかけるなんて出来ないのに)
でもそれは意識してないし、映像は人の判断より正しいという思いが
染み付いているらしいので、見たままを信じてしまいました。
そして瞬間的に私は人を非難し、その同調した膨大な意識が
一人の人間に集中したことが分かって自分が恐ろしかったからだと思います
まだゾーラ・バットが故意にひっかけたと思っている人がいるかもしれないので
どうぞ、ブログに使ってください。
……ということで、謹んで掲載させていただきました。


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