相対界


一人の天才的な聖者がいた。
彼は若くして両親を亡くしたが、その途端、
親類縁者からよってたかって遺産を奪い取られそうになるのを経験した。
裁判となり、辛酸を舐めた。
そのとき、一人の司祭がやって来て言った。
「これらはすべて、何かよいことのために起きているのです」
数年が経ち、司祭に子供が生まれた。
お祝いの席に若き聖者も呼ばれていた。
人びとが口々に祝いの言葉を述べ、祝宴が盛り上がったとき、
聖者は言った。
「これらの結果、何かより悪いことが待っているに違いありません」
世界が相対的であるとはそういうことだと、
たしかに認めざるを得ない。
われわれにとって一見、よく見えることも、
実は他人の犠牲のうえに成り立っているのかもしれない。
かつてキリスト教徒がさんざん楽しんだ享楽は……


非キリスト教徒の抑圧と苦痛の上に成り立っていた時代があった。
肉を食べておいしいと思うとき、
殺され、食べられて苦しむ動物がいる。
逆に、われわれにとって一見、悪く見えることも、
より良い結末のために起きているといわれる。
あんまりそう断言されると、
一瞬複雑な気持ちになる自分がいるにはいるが、
しかしそれでも、その言葉が正しかったと思うことが、
人生には数多ある。


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