宗研29


しかし、いかに修道士といえども、
自分が専用で使う、身の回りの品々は必要だろう。
必需品以外にも、たとえばカメラが趣味であった大木神父は、
広島時代から立派なカメラをお持ちであった。
おそらく、父兄から寄贈されたものだったかと想像するが、
基本的に、身の回りのものを買うための“お小遣い”は、会から支給される。
大木神父と黄金山にのぼったとき、お店に入って食べたうどんは、
神父のおごりであった。
私はこのとき、“一飯(いっぱん)の恩義”を知らずに受けてしまったため……


後に作家にならされたようなものである。
ウーリック先生が持っていたという縦長の判子は、
先生が身の回り費により買われたものだろうと推察される。
マザー・テレサの創設した「神の愛の宣教者会」の修道女は、
普段は自分たちこそが貧しい生活をしており、
患者さんや施設の人たちのためには扇風機があっても、
自分たちのためには酷暑のなか、扇風機もない。
蚊の出る季節、夜は蚊帳を吊り、
暑く、寝苦しくても決められた服を着て、
何度も寝返りをうち、ため息をつきながら彼女らは横になる。
しかし彼女と東京で会えば、電車代も持っているし、
喫茶店に入れば、払わせてはくれるが、しかし自分で払おうともする。
塀のなかに一生籠もって、
そのなかで祈り、働いている観想修道会の場合は別だろうが、
社会に出て働く実践修道会の場合は、
修道士や修道女が社会で義理を欠いたりしないような配慮もなされている。


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