宗研(番外編3)


小学校三年のとき、夏の甲子園大会で、
広島県代表だった広陵高校は勝ち進み、決勝に進出した。
決勝戦の朝、そこここで、その話題が語られていたのを覚えており、
プロ野球球団を持つ広島県民にとって、
やはり野球が大きな関心事であることを子供心に知った。
以後、広陵もそうだが、広島県代表としては、
広島商業も何度か、全国制覇を果してくれた。
私が高校二年のときの優勝監督の名は迫田、
一番は金光、四番は楠原だった。
決勝で、一打逆転のチャンスに打席に向ったのはその楠原だったが……


迫田監督がその前、彼を呼び止めて、
背中に手をおいて何事か耳打ちした姿は、忘れられない。
ところで40年前、
広陵高校が決勝に進出したときの相手は千葉の習志野高校であったが、
われわれの期待も虚しく、広陵は初回からリードを許し、
結局、七対一で敗れた。
しかしその後、アメリカ遠征のために編成された全日本高校選抜には、
左腕エース宇野洋介の名が、真っ先に呼ばれた。
私には今も、高校生だった頃の宇野洋介さんの投球フォームが、
ありありと思い浮かぶ。
40年経っても一県民の脳裏から消えない宇野洋介さんは、
同じ決勝を前にした今夜、どんな気持ちでおられるだろうか。


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