見神


聖母出現を題材とした小説『最後の奇跡』を書いたとき、
いくつかの言葉遣いに苦労した。
そのうちの一つは、聖母のご出現に与る少年たちを何と呼ぶかである。
聖母や、神々のご出現に与る人びとは、
通常、「幻視者」と呼ばれる。
われわれには見えないものを見ているからだ。
ところが、それではまるで、彼らが見ているのは幻であるかのように聞こえる。
が、それは幻ではない。
われわれが現実と呼ぶものよりもさらに現実的なもの、
まさに現実そのものを彼らは見ている。
そこで私は、彼らを「見神者」と呼んだ。
現在、月に一度解説している聖書のなかで、
おそらくはもっとも深淵な哲理を説いた【ヨハネによる福音書】第一章を、
先月解説したが、
その最後の部分にこんな文言がある。
『いまだかつて、神を見た者はいない……』
本当なのか。
本当に、神を見た者はいないのか。
これを考察するための格好の題材となる霊的巨人は……


東西に数人いる。
私自身、ご縁のあるらしいこの人びとについて、
その霊性の本質を見ていくことから17日(土)のセミナーを始めようと思い、
準備を進めてきたが、
調べれば調べるほど興味は尽きない。
まるで、神と人の間にも、
区別がつかなくなってしまうかのような感覚を禁じ得ない。


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